大和王権の前身はヤマタノオロチこと邪馬台国
緩く日本全体を統治してたが
そこへ大陸からやって来たのがスサノオウ
まずは出雲を支配しそこから打倒邪馬台国で
邪馬台国はスサノオウにヤマタノオロチとして倒された
これが天照のひきこもりの真相
そしてスサノオウは宝剣草薙の剣を手に入れた
スサノオウはその後国作りに邁進した
しかし、後年、ヤマタノオロチの子孫である日向の神武に打倒された
これが出雲の国譲り
そして宝剣草薙の剣を取り戻した大和はこれを国宝として祭った
大和が一端出雲に倒された真相は恥じだから隠された
これが古代史の真相
ヤマタノオロチこそ大和であり邪馬台国である
金印もらって外交してる倭の代表国の邪馬台国(ヤマト国)
それを畿内で後発の大和王権が中国の内乱のゴタゴタで曖昧になった時に
うまいこと入れ替わったんだろうよ
大和王権「以前からお付き合いがあったヤマトです。今は畿内に都うつしたのよー。よろしくねー」
中華「オッケーでーす(なんか違くね?)」
そうなんですか
良かったですね
倭国=前はヤマイコクは日本列島全部と朝鮮半島旗南部を
版図にした古代の大国だ。
しかし663年の白村江の戦いで敗北し国力を失った。
倭の別種である小国の日本が倭を併合した。
その際に日本は倭国からパくれるものは
歴史であれ文化であれ文学であれ何でもかんでも
パクリ、おりじなるを証拠隠滅で焚書した。
ただヤマイコクと倭の五王は中国側史料に
バッチリあるのでパクリたくてもパクれなかった。
わずかに「神武の東征」とかでほのめかしてるが
神武の東征なんてないよ。
大日本帝国敗戦後に○○○が
「剣道と柔道と茶道と万葉集の起源はウリ」
とほざいて全国駅前一等地を不法占拠したのとそっくり。
畿内説やってるクズは○○○と同じで薄汚いよ。
いずれにしても九州島だけで完結してしまうんだよなあ
んで、畿内を中心とした歴史は何時から始まるの?(笑)
発音が同じなのに関連がないわけないだろ
まさに
「邪馬臺」の文字を記した魏人の音韻は漢語の上古音末期から中古音初期に当たる。
その発音はシァマーテイ又はイァマーテイと推定されている。
果たしてこれが当時の列島語のヤマトなる音を写したものかどうか。
即断には躊躇を覚える。
>>315に回答してもらいたい。
鉄から探る邪馬台国
> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg
> http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と
> 841 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:23:21.53 ID:1L9obXG40
> >>825
> >>308の資料と照らしても間違いなさそうだな
> 弁韓の鉄材と鉄加工の技術を持った海人が西日本を席巻していき、やがて東日本をも射程に捉えたので畿内を前線基地にしたのだろう
> だが東に版図を広げるにつれて遠い九州が本国では不便になり、畿内に都を移した、というのが一番しっくりくるストーリーだ
邪馬台国は恐らくファンタジー
そもそもヤマトの語源は山のある所という意味
まさに山がちなわが国を呼ぶのにこれほどふさわしい名前もない
まあ、これだけ崇神天皇の代の人たちの名前が出てくるんだからねぇ
・・官有 伊支馬(いきま)
垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」イクメ・イリビコイサチノミコト
・・次曰 彌馬升(みます)
皇后「氷羽州比賣命」ヒバス・ヒメノミコト
・・次曰 彌馬獲支(みまかき)
皇太子(後の第12代景行天皇)妃「美波迦斯毘賣命」ミカハシ・ビメノミコト
・・次曰 奴佳醍(ぬはだい)
皇妃「沼羽田入毘賣命」ヌバタノ・イリビメノミコト
・・対海国と一大国の大官 卑狗ヒコウ
垂仁天皇と同じ母は御間城姫の崇神天皇の子
「彥五十狹茅命」ヒコイサチノミコト
・・邪馬台国が帯方郡に派遣した使者 都市牛利
四道将軍の一人で丹波に派遣された丹波道主命
Yamat aikoku
中国の史書に倭国と日本は別種なりと書いてある
だから九州にあった倭国が弱体化してのっとられたんだろうな
あと神武が実在したか知らんけど
畿内の大和が権威の邪馬台の血統欲しくて王子くれって言ったら
邪馬台国の分家の日向の末っ子を寄越したんだろ
それで畿内側で反対してたのがナガスネヒコでバトったと
これを神武東征ってことにした
漢字なんてのはしょせん中国向けの表記に過ぎない
読み方はどちらもヤマト
だから日本の読み方がニッポンかニホンで論争するのも無意味
>>315に回答してもらいたい。
なんにしても、鍵は末盧国にある
これが九州にあるのか、九州以外にあるのか、で話が決まるわけだが
1223年(貞応2年)に源頼朝の落胤とも伝えられている豊後国守護の大友能直が、『新はりの記』や『高千穂宮司家文』等の古文書をもとに編纂した『上記』(うえつふみ)に
石川県の羽咋に押し寄せたオロシを迎撃するため、直入(現在の竹田市)で兵を集めて出発した皇軍の船団が
穴門のクリナカのマツラクニの港に立ち寄った
と書かれている
穴門とは山口県長門のことで、末盧国は九州ではなく山陰にあった
ちなみに長門の阿武(萩)は、古くから
山・・大和もしくは邪馬台国・・の入り口
と呼ばれ、山口の語源でもある
そして、これも崇神天皇の代
都怒我阿羅斯等が
日本に聖皇あると聞き、帰化するために
船で穴門に着いたとき
伊都都比古との名の人がいて、『おれがこの国の王である。おれを除いて他に王はいないから、よそへ行ってはならん』といった
とある
残ったのはプライドだけか
情けないですね(笑)
ケーケケケ
ケーケケケ
ケーケケケ
最近「ヤマト民族」の格好良さが伝わり始めてるんじゃないかなって考える時があるよ
良い事だ
原田大六氏や安彦良和氏の説は学術的には価値無きトンデモと看做されている。
邪馬台国はみんな入れ墨入れてたんじゃなかったっけ、大和の天照大神や須佐之男命が入れ墨いれてた記述とかあったっけ
>>306参照。
晋書では
倭人は帯方の東南、大海の中にあり、山島に国を作っている。土地は山林が多く、良田はない。海産物を食べている。昔は百余の小国がたがいに接していた。魏の時に至って、三十の国があり、親しく交流した。
戸数は七万あり、男子は大人、子供にかかわらず、みな、顔と体に入れ墨している。
自ら太伯(呉)の後裔という。
昔、夏の少康の子は会稽に封じられると、髪を切り、入れ墨して蛟龍の害を避けたが、今、倭人は沈没して魚を取るのを好み、少康の子と同様、入れ墨して水鳥を追い払う。
だから
歴史に興味もてねーのを悩んでたんだが最近はっと気づいたことがある
俺東北生まれなんだが歴史の舞台になることほぼねーから身近に感じられんのよな
「歴史の舞台」とは何か。
如何なる地域もその地域の歴史の舞台だ。
また歴史なるものの本質は宮本常一氏や柳田国男氏の謂う如く常民の日常営為なのであって、
王権の在処や戦争の動向が歴史なのではない。
東北は文化的砂漠だからね
残念ながら
邪馬台国/卑弥呼は、昭和の出版社が創作した嘘松だぞ
中国の歴史書と日本の記紀にばっちり書いてあるのに誤解する余地はほとんどないでしょ?
紀元前
海中の島々に住む倭種すべてについての認識
漢書 楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国を為す
紀元後
倭国(九州)の大倭王の歴史
後漢書 漢の時使訳通じたのは30余国、委奴国、師升、男王の時代
倭国大乱(桓霊の間146-189)暦年主無し
魏志 魏の時使訳通じたのは30余国、卑弥呼、男王、内乱、台与
晋書 266年の朝貢を最後に消息が途絶える
三世紀後葉~空白の四世紀
畿内ヤマトの歴史
崇神の四道将軍派遣
景行、仲哀あたりの西征東征、ヤマトタケル等
神功の三韓征伐
五世紀
倭の五王の時代
宋書 倭王武の先祖が東に55国、西に66国、海を渡って北に95国平定した
答え合わせ
旧唐書 日本はもと小国、倭の地を併せたり
ライト層だが
魏志倭人伝 →邪馬台国、卑弥呼
隋書倭国伝 →大和王権、聖徳太子
なんだろ
なら、空白の日本史は中国大陸に眠ってる古書を探せよって思うわ
倭の五王
卑弥呼宇宙人説で決着
知るかバカ
自分で考えろ
これ未調査の古墳が沢山あるせいでは
邪馬台国のライバル狗奴国もあるが
西倭(九州)の狗奴國(国賊の公孫氏の領土だった倭奴國)と
東倭(畿内)の邪馬台国(公孫氏を滅亡させた司馬氏に増封された領土)
共通の朝鮮半島の倭國領「狗(奴國)邪(馬台国)韓国」から
西倭(九州)の狗奴國に行くときは、対馬国 ー 一支国 ー 筑紫国
東倭(畿内)の邪馬台国に行くときは、対海国 ー 一大国 ー 末廬国
初代征夷大将軍の坂上田村麻呂
坂上田村麻呂の祖先は大和政権の中枢である軍事と財務を担った渡来系の東漢氏
その渡来系(弥生人)である坂上田村麻呂が征夷すなわち蝦夷や隼人といった
弥生人の侵入によって南北に分断された夷(縄文人)を征伐する初代将軍に選ばれたのは
歴史の必然
邪馬台国ネタは出版社だけが煽ってて
文化庁や政府は完全にスルーしとるのが、嘘松という証拠や
まあいずれAIの発展でほぼ全てが解明されるよ
それもそう遠くない
俺は筑紫平野・祇園山にベットかな、本命過ぎてつまらん賭けだが
卑弥呼がヤマトの人なら記紀にそれっぽい記述あるんじゃねーの?
残念ながら、タージ・マハルのように何でも左右対称にして国造りを行う人たちって今もいるんだよなあ(笑)
神武天皇は紀元前711年生まれ
年代的に邪馬台国とは無縁だな
「大和王権」はいいぞぉ…(´・ω・`)
コメント