「倭の水人は、沈没して魚や蛤を捕ることを好み」
「気候は温暖で冬でも生野菜を食べる」
記述されている風俗が南方の海洋沿いのものなんだが
畿内説を主張するのはバカとしか思えん
「倭人の男子は、身分の高い低いに関係なく皆体や顔に入れ墨をしている」
大和朝廷だれも入れ墨してねーだろ
してたんなら早く入れ墨しろよ
そりゃ、九州は畿内に支配されてたんだから
九州の風習を倭の風習として書いても不思議ではないだろ
それあなたの妄想ですよね
妄想じゃないよ
北部九州の主な古墳は発掘調査済みで
邪馬台国の時代には北部九州の王の権威が低落してることは物的証拠から判明済み
皆
の部分を意図的に曲解するのはなんで?
そんなに都合悪いの?
早速ファンタジー歴史信じる盲心バカがバカレス書いてて草すぎだわw
当時は日本と韓国を合わせて一つの国みたいな概念だったんじゃないの?
韓国語と日本語は似てるし方言みたいなものだし
西暦663年くらいまでは朝鮮半島南部は倭国の支配が及んでた
日の元の国は突如あらわれたんだよ
宇宙人から作ったのかもしれない
ねーよ
記録にもない程のただの地方豪族だわ
当時畿内の遺跡からはユーラシア大陸産のもの
出てないじ
九州ガイジはいい加減目を覚ませよ
歴史は事実を受け止めるもの
妄想は要らない
ネトウヨ思考
・日本人は縄文人の子孫
・日本語は縄文語の子孫
・Y遺伝子Dが自慢
・縄文文化を縄文文明という
・邪馬台国は九州と主張
・日本が中華に朝貢したのが許せない
・アイヌ人はシベリアからやってきた虐殺者
・なぜかエベンキという民族に関心がある
・古史古伝や日ユ同祖論などのオカルトを信奉
・邪馬台をじゃまたいと呼んでしまう低学歴
・国学者の九州説をなぜか反皇国史観と思い込む
・魏志の漢字を何故か現代音で分析してしまう
なんにしても、鍵は末盧国にある
これが九州にあるのか、九州以外にあるのか、で話が決まるわけだが
末盧国の言い伝えが残るのは、山口県の長門だけ
1223年(貞応2年)に源頼朝の落胤とも伝えられている豊後国守護の大友能直が、『新はりの記』や『高千穂宮司家文』等の古文書をもとに編纂した『上記』(うえつふみ)に
石川県の羽咋に押し寄せたオロシを迎撃するため、直入(現在の竹田市)で兵を集めて出発した皇軍の船団が
穴門のクリナカのマツラクニの港に立ち寄った
と書かれている
穴門とは山口県長門のことで、末盧国は九州ではなく山陰にあった
わざわざ中国から使者が来て回って記録残すくらいだから向こうも興味持つくらい列島に散在するいろんなクニから使者なり交易の商売人みたいなのが行き来してたのかもしれんな。そうすると邪馬台国の前後に記録にない大きな集団がいたかもしれない。
あるいは邪馬台国は卑弥呼の時代よりもっと上代から中華と交易なりやりとりがあったのかも。いきなり卑弥呼が派手なデビューして始まったならあいても怪しむよ。
古代朝鮮の伽耶には日本人の遺伝子を持った高貴な人々がいたと判明
https://nazology.net/archives/110991
縄文人が朝鮮半島に移住していた可能性
ウィーン大学で行われた研究によって、古代朝鮮の南部に存在した「伽耶」の古墳において、
日本人に特徴的な縄文人のDNAを多く持つ人々が埋葬されていたことが判明しました。
トンデモ論になってるホツマツタエが案外マジ論じゃね?w
日本書紀や古事記でツジツマ合わないところが合致するし
出雲も大和も九州説の熊襲の上の国もホツマツタエだと残ってる遺構とも合致するし
ただ、ホツマツタエは江戸時代に書かれたで正解だろうけど
なぜか? 日本書紀の時代に本当の事書けないからw
江戸時代の幕府で天皇薄れた時にできた暴露本www 今でもかけない
だって出雲も大和(奈良)も東北も渡来になるからなぁ
纏向からは天蚕の布が出ている。
九州の蚕と違って超上質の特級品。
貰い物でしょ?養蚕は?
なんにしても、鍵は末盧国にある
これが九州にあるのか、九州以外にあるのか、で話が決まるわけだが
1223年(貞応2年)に源頼朝の落胤とも伝えられている豊後国守護の大友能直が、『新はりの記』や『高千穂宮司家文』等の古文書をもとに編纂した『上記』(うえつふみ)に
石川県の羽咋に押し寄せたオロシを迎撃するため、直入(現在の竹田市)で兵を集めて出発した皇軍の船団が
穴門のクリナカのマツラクニの港に立ち寄った
と書かれている
穴門とは山口県長門のこと
ちなみに山口県長門には伊都都比古という王もいたよ
だいたい大和は尾張、丹波、吉備等の物の集積地だったらしいが、そこで産まれたのが大和政権だろ?
日本書紀に熊襲が出てくる次点で九州はないよ
東北の蝦夷まで含めた大連合が大和 例外は熊襲
土蜘蛛と言われた奈良の土人は後入りの朝廷に討伐された
まぁ家系残ってるみたいだけどw
結論:邪馬台国は佐賀には無かった
ちなみに長門にいた伊都都比古は、
渡来人の都怒我阿羅斯等が
日本に聖皇あると聞き、帰化するために船で穴門に着いたとき
『おれがこの国の王である。おれを除いて他に王はいないから、よそへ行ってはならん』と入国を拒否してる
なぜ邪馬台国なんて持ち上げられるのか分からない。女王というワードが影響してるのか?
畿内説=大多数の考古学者が支持する学説
九州説=知識の乏しい素人が信じてる俗説
いかにも権威に弱い奈良県人の考えそうなことだ
自分のあたまで考えることを放棄している
もはや白痴だな
では、九州から出てる発掘物はどう説明するんだ?
邪馬台国のものかどうかって点においては証明されてない
これは畿内説も同様だけどな
答えなんて新しい何かが見つかるまで出ないのに何で争ってるんだろう
妄想vs妄想にしかならんぞ
畿内説のソース=学者が書いた論文や文献
九州説のソース=邪馬台国の怪とかいう同好会や素人のブログ
>>540
九州説と書いて、「クズセツ」と読む
書面に残さなかったヤツの責任
ディープステートが世界を裏で支配してると主張する陰謀論者たちを「Qアノン」と呼ぶ
邪馬台国が九州にあったという俗説を信じてる陰謀論者たちを「九アノン」と呼ぶ
ネトウヨはオカルト信者が多いから九州説なんだよな
だから東日流外三郡誌やホツマツタエやウエツフミや先代旧事本大成経とかが大好き。
結局はオカルトマニアの反知性主義で日本学術会議を叩いて恥もない。
だからこそ九州説の妄想を否定してやらねばならない。
ネトウヨ撲滅せねば市民への弾圧が始まる。
ぶっちゃけ畿内説も妄想の範疇やで
そこの大きな権力を持った支配者がいたって点については間違いないけどな
それが邪馬台国であるって証明にはなってない
ほとんどピースの残ってないパズルの全体像について揉めてるだけだもんな
佐賀には軍事貿易拠点の国あったよ それが天皇の血筋の人も出入りしてる
ただ中心ではない ヤマト奈良~伊勢
出雲も渡来でタタラ鋼持ってきた人 アンニョンハセヨ
まず九州北部には大きな遺跡がない
人の集団が集まる都市部は人の数は、そこの利用する人の数で広がるが
吉野ヶ里ですら所詮奈良県の唐古・鍵遺跡と変わらないレベルしかない
当然纏向遺跡とは比べ物にもならない
纒向遺跡はまだ20%しか発掘が済んでないが、既に他からの搬入土器だけで1000点もの土器が出ている
これは当時の物流の中心が奈良県の纏向にあった事を証明している
またそれぞれの搬入土器から吉備と東海の土器が多くあり
交易拠点としての纏向のポテンシャルが見て取れる
当時の古墳の規模も明らかに奈良県や周囲の畿内の方が大きく、動員できる人間のリソースの多さを証明してる
最古級の箸墓古墳ですら、今現在でも日本で11番目の規模を誇る前方後円墳であり、このレベルの古墳は九州北部には無い
こんな大規模な大和を中心とした集団にしれっと東遷したと言うのは、現実の見えていない証拠
大和がまだ発展してないのは、紀元前の時代であって
まだ日本の人口が少なく、文明レベルが低い時代のみの話し
逆に言うと魏志倭人伝の記述からしたら畿内の遺跡は立派すぎるんだよね
そんなに立派ならそう書いてるはずなのに書いてない
九州の遺跡のほうがそのショボさも含めて記述に合致する
それあなたの感想ですよね
どの説も感想妄想多すぎるから意味ねぇんだよな
ロマンはロマンで収めておくのが良いと思うわ
古代史を魏志倭人伝を中心として考えるのは問題あるしな
かといって完全に無視すると資料がなさすぎる
邪馬台国論争はその始まりから現在まで感想の言い合いですよ
邪馬台国が畿内なんて言ってないよ?
じゃあどこ説で何が言いたいの?
邪馬台国は九州北部のただのムラ
既に大和の傘下に下ってる
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