だから倭の内部事情は大陸に伝わりにくい
玄関口である北九州勢力がなんとでもごまかせた
志賀島で発見された金印っていう実績もあるだろw
あんなんでも金印なんだよ
弥生時代の海のシルクロードの終着点は伊都王国。卑弥呼の実家だよ
橿原の神武天皇の時代は弥生時代中期末〜弥生時代後期初頭じゃないか
弥生時代後期の伊勢遺跡の時代の国作りは尾張を越えて東国まで広がる
兵主の伊和大神の国作りは尾張で終わりとある
初代の国作りは尾張迄
伊和大神の子伊勢津彦は伊賀に石の砦を作っていた伝承が残るが、伊賀の名張から弥生時代後期の砦のような集落跡が見つかっている
伊勢津彦は風の神さまやね
神風の伊勢、神風の八坂と枕詞にもなっている
美智子上皇后陛下の歌の石碑が橿原神宮にあるね
遠つ世の 風ひそかにも 聴くごとく
樫の葉そよぐ 参道を行く
だから俺だけが大分相当前から言ってるんだけど
卑弥呼没後に保てなくなった九州の連中が京都大阪辺りにまで移動してきて
天皇制を始めたか
元から京都大阪辺りにそこそこ勢力のあった連中と元邪馬台連中が併さったのが今の天皇(朝廷制)だよ
明らかに時期的にそういう流れってのがモロだし
この辺りの頃の変遷がほぼわかるような考古学的資料って今後見付かるのかね
弥生時代に三種の神器が出土するのは北部九州だけhttps://i.imgur.com/PPmbKSJ.jpeg
倭国ってのは安倍のいう「わーくに」の当て字でしょ
だから倭国とヤマトは別物
大和と書いてヤマトと読ませるのは、キラキラネーム原理でしかありえない
新たにキラキラ読みの字を当てざるをえないなら、大和の地は元々のヤマトではなかったことになる
ほんとのヤマトならばそんな無理筋な文字ではなく自然な字を当てるだけだしな
ヤマトは「日本」のどこかにあった一地方の政権にすぎないが、天皇に繋がる嫡流もしくは天皇が利用したいほどの権威の象徴だったことは確か
ヤマトはふつうに邪馬台国のことで
この地方政権はまあふつうに考えて出雲あたりにあったと考えていいだろうな
今の漢字と中国の漢字は似て非なるもの音から連想して・・・というのは全く無意味な行為ではなかろうか?
邪馬台国は弥生系日本人の勢力で
大和朝廷は古墳系日本人の勢力だが、邪馬台国が比較的穏当に
大和朝廷に組み込まれる形なら、邪馬台国は国津神を信仰していたかも?
クソ安倍時代の風習で畿内説にした方が予算が出やすいんだってな
5chでは九州説が大半だっつーのに
コロナの時の医者みたく科学とは正反対やないか。予算目当て
おめえは学者じゃなくて乞食や
乞食の時点でお前は日本人じゃない
朝鮮人
そう歴史書に記しておけ
播磨の勢力は近畿山陰の国作りを終えた後九州の国作りにも取り掛かったんじゃないか
弥生時代後期博多からは播磨の土器が大量に見つかるようになり、本州で流行っていた方形周溝墓が福岡平野に誕生する
「やまとのくに」つったのを中国人が「邪馬台国」って書いただけだろ
でも5chって大抵デマと偏頗な思考で構成されてるよね
かなり世間とズレてるし
島根の西川津遺跡と同じ形の鳥形は鳥取の青谷上寺地遺跡、大阪の亀井遺跡、雁屋遺跡、池上曽根遺跡から見つかっている
青谷上寺地遺跡の4体の人骨の遺伝子を調べたところ、2体は日本固有のC 1a1だった
これは旧石器時代からいた集団の遺伝子タイプじゃないかと言われている
ヨーロッパの先住民クロマニョン人やアボリジニーの近縁の遺伝子タイプやね
骨はきちんと壺に入れときましょうね(笑)
結局のところどうなんだ?
天皇家は朝鮮血筋なのか?
記紀の記述に即してさえ;
・神武系は神武で断絶→綏靖系が簒奪
・綏靖系は仲哀で断絶→応神系が簒奪
・応神系は武烈で断絶→継体系が簒奪
と理解せざるを得ない。
このうち明らかに「半島系」と認められるのは応神系だ。
そう考えるとなかなか単純に判定はできない。
その後、桓武の代に女系としては明確に半島の血を入れている。
これをどう評価するか。
血筋断絶してるなら今の天皇から男系辿れば神武にたどりつくの?
歴史的な意味に於いては「不明」というのが現時点では最も正しい。
物理的/生物学的な意味であれば、
今上から百何世代か前のサピエンス雄性個体は必ず「実在」する。
天皇家の人々と雖も木の股から生まれるわけでもないし、
ここ何十年かの間に猿から分岐進化したわけでもない。
たぶん縄文系
縄文の色濃い宮崎に天孫降臨している
海幸山幸の話が縄文っぽい漁労狩猟
その山幸の孫が神武
そのまま埋めたらだめっしょ(笑)
だから邪馬台国はエジプトにあったって木村鷹太郎さんも言ってただろうが
https://pbs.twimg.com/media/D5rtVhEUUAAsWLB.jpg
https://pbs.twimg.com/media/EOK1rcAUUAEfDUg.jpg
とりあえずタイムマシーンの開発を待とうや
邪馬台国は九州だよなぁ。日本書紀に該当する女王の名が
出てこないし、福岡に山門って地名があるし。
畿内説は、天皇家の血統を正当化するためのものとしか
思えん。
山門ではあり得ない。
>>214の一行目を参照されたい。
山門をヤマトとは読めない
ヤマトと読むのは唐の時代の発音から
古代中国人の耳をよくそこまで信頼できるな
古代中国人の耳ではない。
列島人自身の上代仮名遣いに於いて「山門」の門と「夜麻登」(記紀にヤマトの表記として現れる)の登は明確に別の音を表している。
古代史に首を突っ込みたいならせめてその程度の基礎知識は身に着けるべし。
万葉で語るな
記紀と万葉集は文字化された時期が極めて近接している。
両者の仮名遣いが同一のルールに基づくことは自明だ。
で?
倭人伝読んだ?
>>262
それと中国人の耳を一緒にできるセンスがな
分かる?
逆に考えるんだ
ヤマトって地名があって、そこへ後から山門って漢字を当てた
漢字が先にあったわけねえだろ
訓読みと音読みも知らんのかw
スマン、何が言いたいんだかわからん
当然、訓読みも音読みも知っているよ
山門なんて漢字が史書に出てきたってわけじゃないんだから、そんな漢字がどうとかってのは問題にはならない
あくまで邪馬台国ってのが出てきてるって話であり、北部九州には山門っていう地名があるって話
なら一生分からないだろう
九州の山門の地名ってたぶん明治以降に付けられた名前でしょ、だから関係ない、というか徳川トクチョン朝鮮スパイ
の流れで、わざと後付けでそう付けたんだろう。
同様に、宮崎高千穂町や鹿児島高千穂峰の古事記故地名も、江戸明治以降だろう(つまりトクチョン系の意図的な嘘/付会)
やまとのあがたは全然古いぞ
今の位置とは少しずれてる可能性はあるらしいけどな
記紀の四道将軍譚や日本武尊の話をみれば、古代九州特に南部九州は、日本(やまと人の根拠地/天皇の在所)からの
遠征地だったし、つまり北部九州も邪馬台国/邪馬壹國=やまとのくに(日本国の首都=天皇の本拠)とは極めて考えにくい。
特に言語/方言的にみてもね。関西(奈良)にしてもそれは同じ。 >>1
記紀の四道将軍譚や日本武尊の話をみれば、古代九州特に南部九州は、日本(やまと人の根拠地/天皇の在所)からの
遠征地だったし、つまり北部九州も邪馬台国/邪馬壹國=やまとのくに(日本文明の中心地/首都)とは極めて考えにくい。
特に言語/方言的にみてもね。関西(奈良大阪京都)にしてもそれは同じ。 >>1
>関西(近畿)のヤマト朝廷は、関西よりも西の日本(ヤマト)民族.. が東遷して始まったのは間違いない。
かといって、九州でもないのは >>289 でも書いた通り。
(神武天皇が、例えば母方が東九州などだったりして、そこから東征(大阪奈良征伐)に出発したとかはあったかも知れないが)
常陸国風土記に皇孫の祖先は天地の初めより前からいたとある
日本神話の天地開闢より前からいたということだな
日本列島最古の先住民なんじゃないか
澄んだものと濁ったものが混じり合い、天地の初めよりも前に、諸祖天神(土地の言葉で女神祖を賀味留弥[カミルミ]・男神祖を賀味留岐[カミルキ]という)が八百万の神々を高天原に集めた時、諸々の祖神たちに「今、我が孫が統治すべきなのは豊葦原水穂之国である」と告げた。そこで高天原から降りて来た大神の名を香島天之大神という。天にある時は日香島之宮(ひのかしまのみや)と名付け、地にある時は豊香嶋之宮(とよかしまのみや)と名付ける。土地の人が言うには、豊葦原水穂之国の統治を委任しようと詔した時に「荒ぶる神ら、また、石根・木立・草の葉までは言葉を話して、昼は蝿のようにうるさく、夜は火が輝く国であった。ここを平定する大御神である」と言い、天降らせて皇孫に仕えさせたという。
土から這いだしてくる訳じゃあるまいし日本人の大半は朝鮮や沖縄方面から渡ってきたに決まってる
そんな昔の事考えて何になるんだか…
クンニしろ!
糸島は中国語でイトと読めないから伊都国ではないと
九州出身で自称王族の海賊ジンムが、クーデターに乗っかってヤマトの大王になってしまった
ここから、問題がこじれて、ニギハヤヒ(のちの藤原氏)あたりが頭を抱えた
出アフリカから日本へどうたどり着いたかはたぶんスンダランド経由の南方からが一番イージーだろうが、
北海道経由ってのもあるだろう
縄文以前の話だわな
邪馬台国の方が先だろ
ま、要するに日本人がどっかで形成されて列島へやって来たんではなくて、
列島へやってきた人々が醸成されて日本人になっていったんだよ
日本人はどこから来たのかなんてのが無駄な問いかけ
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