ちなみに魏の領内の銅が混ぜられて作られた、
平原遺跡の方格規矩四神鏡は、
その特異な成分から、
魏の領内で魏の時代に作られた銅鏡である事が確定している。
中国製かどうか?を判断するのに成分はあんまり使えない
と、なると使えるのは、同じデザインの鏡が中国で見つかっているか?の方になる
三角縁神獣鏡は中国ではまだ見つかってないので、今の時点で卑弥呼の鏡説をとるのは時期尚早
中国でも見つかったら、その時は候補に上げればいい
関東って日本なのか?
そもそも歴史あるのだろうか?
武蔵古墳はカンサイより古い
縄文遺跡の全然ないカンサイ
律令国家以前
宮城県栗原市鳥矢ヶ崎古墳群(蝦夷の族長伊治公砦麻呂の墓とされるが、発掘人骨は渡来系であった)
宮城県大崎市青山横穴古墳群、大崎市混内山横穴古墳群、塩竈市清水洞窟
山形県米沢市戸塚山古墳、福島県喜多方市灰塚山古墳、福島県郡山市正直古墳群
いずれの古墳人も、縄文人の特性は見られず渡来系の特徴を持つ
東北南部は4世紀から5世紀にかけて、ヤマトの土師器・墓制を持った関東から多くの移住があったと思われる
記紀では崇神天皇四道将軍が新潟→会津←宮城と合流する
これ耳輪してるじゃん。南方系から続く土着文化だろ
中華~北方民族に大きな耳輪の文化は無いだろ
渡来系じゃなくて、土着民が渡来の文化を吸収したとすれば筋が通る
それがどうしたの
カンサイのイナカ渡来文化なんてあってもなくてもどうでもいいが
東日本には日本の文化があったので朝鮮半島の文化を世界の先進と考える関西人の文化の話はよくわからない
いたらほっとくだけ。ころしはしない
東国は大和民族(日本人)に征服されたな
古代ヤマト王権版図
赤線は内陸部主流交通ルート
頭悪過ぎだろ
関東は縄文犬をかわいがり丁寧に埋葬した
その犬は日本犬の始祖みたいになった
溶かして再利用したら成分は同じだが別物になるわな
溶かすメリットがあるのかどうかだが
平和なんで剣を鏡に作り直したり逆に剣を作るみたいなのはあるかもしれないな
アカホヤまで九州
魏の時代は阿波中心
白村江、東南海地震後に大和遷都
割れた鏡の破片のみが出土
「鏡開き」の風習は古来は本物の銅鏡を使っていたことが判明
これは文化論的にすごい発見だな
今まで鏡餅や鏡割りの言葉の由来はわかってなかった
中国からもらった貴重な鏡を割る→国産の廉価品を作って割る→鏡の代わりに餅を割って食べる
こんな流れかな
銅鏡ってお守りや御札みたいに毎年新しいものに変えるものだったんだと思うぞ
お守りや御札も古いのは神社で年一回燃やすじゃん
銅鏡は燃やすんじゃなくて割ったんだろう
本来なら差が出るはずの青龍三年と景初四年の銅鏡の成分がほぼ同じ成分なのは、
全く同じ原料で同じ年に同じ場所で鋳造されたものと考えるよね普通は
いや磨いた跡があって支配者は中国鏡を大切にずっと使ってたみたいよ
現在の邪馬台国は東京
卑弥呼は愛子になる予定
愛子ちゃんは鬼道につかえたりしているのかな?
少なくとも遺伝的に無関係な新興朝鮮キリスト教者不倫家系を
天皇にしてはならない
鏡開きして溶かしてまた作るみたいな
九州説はお亡くなりになりました
卑弥呼って役職名やから奈良にも九州にもそのポジの女がおったんちゃうん?
学者もほんまはわかっとるけど飯の種やからダンマリなんやろ
この時代の出土物としては平原遺跡が圧倒的で他は全部ショボいんだよな
卑弥呼の墓なら平原遺跡くらいの品物が出ないととても認められん
遼河文明は陸稲な
水稲は江南
あと陸稲はアムール→サハリン→北海道→本州のルートなんで
北海道より緯度が高い南満と九州を行ったり来たりするわけないだろ
稲作の朝鮮半島ルートだけはありえん
畿内勢力は邪馬台国なんか余裕で超えてるっての
だいたい歴史学者って未知の探求じゃなく
自分の思い描いた通りになる様に都合の悪い事は無視したり
無理なこじつけばかりだから
ヤマト国=邪馬台国
西暦180年頃、即ち桓霊の頃に畿内で突如銅鐸文化が消滅し、九州系の銅鏡文化に祭祀が変わる。そして纏向遺跡の建造が開始されて纏向型前方後円墳が出現する。
これは九州勢力によって畿内の銅鐸文化人が征服された事を意味しており、邪馬台国の成立が神武東征神話の元ネタだったことが分かるだろう。
あの巨大な纏向遺跡は少人数の征服者では建設が出来ない。畿内の征服は西日本各国が連合して行われた大規模なものであったろう。この連合を纏めた大首長がいたはずである。
普通に考えればこれこそが邪馬台国つまりヤマト王権の初代王と大斎王の卑弥呼だろう。
古代東北北海道には二種類の非大和族がいた
蝦夷アイヌと狄
狄は蝦狄などと呼ばれることが多い
蝦夷と狄は扱いが違い恭順した際の名前の付け方も違った
主に太平洋側が蝦夷、日本海側が狄だが蝦夷より北方に行くと狄の地となる
蝦夷が狄からの攻撃を受けヤマトに助けを求めたのが阿倍比羅夫の北征
狄は北海道の北部あるいは樺太に住み、
本州では出羽と連絡していた
青森は蝦夷なので飛び越えた形
この狄はツングースとされる
邪馬台国以降にに鏡貰ったことねーのかよ!
何でも邪馬台国にすりゃ井伊ってもんじゃねーぞ!
鏡屋さんの倉庫だったのか
大和は魏晋派王朝。漢王朝は蜀漢→匈奴漢→劉宋でフェードアウト。魏を悪役に仕立てた劉宋の後漢書が漢王朝最後の抵抗。
天皇家は弥生人だけど移動説だと矛盾せんのか?
邪馬台国の末裔+皇室の先祖が率いる渡来系=大和朝廷
日本酒の鏡割りとか、お正月の鏡餅、鏡開きって
なんで鏡っていうのか正確には判明してなかった
それが今回古来は本物の銅鏡を割っていたってことがわかった
鏡が元なら、鏡餅は1段+橙で良くね?
2段である意味が解らん。
鏡が当て字で元々の意味は違ったりしてなw
今回じゃねえよ
もっと前から破鏡の文化は発掘されてる
『紅白歌合戦』セクシー衣装に衝撃!「全然歌入ってこない」「目のやり場に困る」「親と見るには気まずい」
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毎度、疑問に思うんだが卑弥呼の墓を探すのには熱心なのに
邪馬台国の場所があげれないのが畿内説のネック
誇張されてるとは思うが8万戸あるとされる
邪馬台国の都は大規模な集落のはずだが
畿内にそれらしきものが見つかっていない
卑弥呼の墓が畿内にあったとしても、
邪馬台国が九州にある可能性もあるだろう
国の始まりは卑弥呼からではないからね
倭国大乱の前に男王の治世が約80年あった
1世紀後半、この時代がヤマト政権の始まりでしょうね
ヤマト政権の始まりの本当のエピソードは国作りと思うけどね
奴国がヤマト王権なわけないでしょ
卑弥呼が倒れ後にヤマト朝の原形となる集団が勢力を拡大し
信仰がシャーマニズムから天孫神話に切り替わったと考えると矛盾がない
1世紀後半に誕生した伊勢遺跡は各地の首長たちが集まり、夜に水の祭祀が行われていたと考えられている
首長たち、神々の交わりを示す話が大和国風土記に残っている
天津神命、石津神命は三都嫁(みとのまぐはひ)、遊(うらぶれ)、面語(おもがたり)したとある。三都嫁とは結婚(とつぐ)ことである。よって、戯(たはふれ)と遊(うらぶれ)という。
石津神とは何なのか?天津神とは何なのか?
もうイタコにヒミコを呼んでもらって決着を付けたらいい。
文字とか他に繋がりが出てこないうちは邪馬台国発言禁止しようよ
畿内説は「卑弥呼が中国銅鏡を独占していて、それを地方に配った」としている
なぜ「各地方で中国銅鏡を入手できない」としているのか理解できない
配るにしても「部下に下賜するような上限関係が伴っている」とするのも理解できない
なぜ普通の交易で入手にならないのか?
畿内なのか、独占なのかは置いとくとして
魏志倭人伝に書いてある
還到録受悉可以示汝國中人使知國家哀汝
これらを使って、お前のバックに魏がついてる事を示せ
なので、卑弥呼は貰ったものを配ったと考えられてる
意味が分からんわ
「示せ」というだけで「見せるだけにしろ」ともとれるし、
配るにしろ、見せるにしろ「上下関係を作るのに使え」とも言っていない
しかも「汝の国」と限定してる以上、邪馬台国外には示さないようにしか読めないぞ
一大卒が検察して諸国も恐れているからムリなんじゃね
政治的にまとまってる証拠でもあるし
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