熊襲を裏切った生き証人の薩摩隼人の存在がある時点で九州説は少し無理がなぁ
邪馬台国が九州だったのなら薩摩隼人も生かされとらんよ
まるでイミフでワロタw w
邪馬台国の場所は九州で確定してる明治期に
久米や星野、重野やら著名な歴史学者や漢学者が特定した
畿内説はアマテラスが朝鮮人だったという事実を戦後隠蔽するためにでっち上げられたんだよ
涙拭けよバカチョン
はい、論破 w
卑弥呼は漢字を知らなかったから卑弥呼なんて文字で記されることになった
漢字を知っていたら自分の名前を漢字で記して手紙を使者に持たせるだろう
四世紀ってのは崇神の下で近畿日本が急激に勢力を伸ばし
かつ九州倭国はトヨがダメダメで急速に勢力を落としていた時代ね
アマテラスが朝鮮人ということを日本では教えない
アマテラスは新羅王のヒョッコセだった
これが原因で古代から日本は朝鮮を侵略したくて仕方ないんだよ
日本は神によって捨てられた国なんだけど、その事実を認めたくないんだ
またカルトのお伽話か
三輪山が大きな墳墓で卑弥呼が眠ってる気がする
記紀を読めば日本が流刑地だったことは明らかでスサノオは流刑されたんだよ
じゃあアマテラスやツクヨミは何者なの?
三角縁神獣鏡の出土ってむしろ邪馬台国じゃないことの証明なんじゃ。
日本は流刑地だった
この事実を認められない日本人が朝鮮半島奪還作戦を何度も企ててきたんだよ
これが事実
卑弥呼には子供いないのに何で皇室と繋がりあるとか言うんだろうな
だから邪馬台国論争ってのは
どのくらい大量のウソつき猿がいるか
学習する教材だと思えば
かなり建設的になる
三韓征伐、朝鮮征伐、韓国併合これらはみんな日本人が朝鮮半島を高天原であることを認めていて、自身の劣等性を認めている証左なんだよ
鏡なんか百均でええやろ
どうしても出雲王朝の存在を隠蔽したんだよ
そこに繋げられるとアマテラスが朝鮮人だという話にダイレクトにつながるから
桜井茶臼山古墳は
近鉄桜井駅から徒歩10余分で行ける国道沿いの桜井中心部に有りながら、原型と掘は残しているが木々に覆われ未発掘の場所も多い
、もっと発掘調査をすべきだな。
古事記を読んでて不思議だなって思ったこと
天孫降臨編ではニキギが九州の鹿児島に舞い降りてその地を統治したと書いてるのにさ
ヤマト政権編では鹿児島の熊襲討伐をやってるのなw
確かにねw w
発掘調査はしない
古墳を作ってきたのは出雲系の土師だからね
邪馬台国はやはり九州だったな
三世紀までが神話、四世紀以降が歴史。
北魏、高句麗、日本の共通の歴史だよ。
邪馬台国は縄文系の地方豪族だったと解すべき
大和政権となんの関係もないのに結びつけるのは出雲王朝の隠蔽が理由
阿波も吉備も東海も隠蔽されてる
奈良の纒向遺跡から出土するのは東海系の土器の割合が最も高く、次が吉備系の土器
当時の発掘跡がある水銀朱の鉱山があるのは阿波だけだが阿波も記紀で無視されてる
日本酒も日本刀も相撲も出雲系の朝鮮人が日本にもたらした
相撲も朝鮮由来
日本はそういうの隠したいから畿内説をでっちあげた
意味わからん
畿内が朝鮮だろ
イズモはそれとは違うという話なのに
バカは世界の全てが朝鮮だから
茶臼山古墳って周辺の王墓と違い一切伝承ないんでしょ
皇室も管理してない
皇室とは無関係だよ
トミ茶臼山古墳という別名がある
トミといえばトミナガスネヒコ
邪馬台国と狗奴国の争いのあとで神武東征が起きたという九州説の定説によれば時代的にも合う
宮内庁が管理していないから大阪高槻市の継体天皇陵墓のように、博物館兼公園に出来るんだよ
何度も言う
相撲は朝鮮由来
日本人は朝鮮人の劣化コピー
そういうのを隠したいっていうのがまたダサいよね
とり みき の超短編探偵モノで「探して欲しい物がある」って引き受けたら邪馬台国を探すってオチのマンガがあっあな
日本は戦前は隠蔽してなかった
戦後に隠蔽したんだよ
おかしな国だよ本当に
戦前は占領政策のために日鮮同祖論を率先して宣伝した
いまそれを言ったら国際社会に叩かれる
頭悪いな
頭悪いな
感情論の馬鹿
>>488よめ
だからさあ
日本は戦後は隠蔽してなくて日鮮同祖論を唱えてた
戦後になって急に隠蔽するから意味わからん
調べればすぐわかるだろ
ネットの時代だし
頭悪いな
感情論の馬鹿
>>488よめ
ところで奴婢100人の殉葬は見つかったの?
九州では見つかってるけど
九州説論者のほとんどは地名の一致などから九州のヤマト族が畿内に移住したという東遷説を取る
記紀でいう神武東征がこれにあたる
神武東征は3世紀末か4世紀初頭ということ
神武東征が3世紀末?
神武=崇神とするとそうなる
欠史八代を架空として
日鮮同祖論自体は事実だから
マックスプランクのレポートが昨年出てたろ
戦前の宣伝は嘘だから
感情論
もうむちゃくちゃだな卑弥呼のせいでどれだけ動かす気だ
古人「韓人が鞍作を殺した!」とは
大化の改新は中大兄皇子と中臣鎌足、蘇我入鹿の3人を中心に描かれる
これは「ストーリー」である
重要なのは、「事実どうなったか」を見ること
事実だけを見ると「帝位は皇極から孝徳に移った」のである
政治の主役は「天皇」であり、確認すべきは「帝位の移動」なのである
実際に起こったのは孝徳の皇極に対するクーデターであり、主役は孝徳
つまり軽皇子=韓(カラ)の皇子であった
>>498
日本史の謎の一つ
大化の改新時の古人大兄皇子のセリフ「韓人が鞍作を殺した!」の謎を俺が(日本で初めて)説いたんだが
誰か反応くれよ
軽皇子の父は茅渟王と伝わる
この茅渟王は父が押坂彦人大兄皇子であること以外ほとんど記紀に記載がない
茅渟王はチヌのみこと読む
一方で6世紀後半の百済王に真興王がおり、これは百済語ではチヌン王と読む
茅渟王は押坂彦人大兄皇子と真興王の娘との子供であり、生涯のほとんどを母の実家、つまり百済王族の宮で過ごした
それぬえチヌの王と呼ばれたのである
孝徳=軽皇子とはそういう背景を持つ皇族だった
百済の真興王の血筋を持ち、ほとんど百済王族として過ごした父を持つ孝徳は、百済から先進の唐の文化や国際情勢を知ることができた
ゆえに孝徳は唐風の文化や政治制度の導入にこだわり、抵抗者である皇極とその忠臣(愛人)である蘇我入鹿を排除する必要があったのである
若く、血気盛んだが未熟な中大兄皇子を実行者に仕立て上げ、自らの手は汚さずに
>>498
日本史の謎の一つ
大化の改新時の古人大兄皇子のセリフ「韓人が鞍作を殺した!」の謎を俺が(日本で初めて)説いたんだが
誰か反応くれよ
だったら四道将軍たちは何にあたるんだ?
存在しない
中華の真似して名前パクっただけ
征夷大将軍もそう
中華が高句麗王に与えた征東大将軍をパクって名前つけただけ
中国が周辺の蛮族の王に与える称号として四征将軍、四鎮将軍、四安将軍ってのがある
それを真似て四道将軍って後の時代に言ってるだけ
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