リアルサウンド
photo/Ashley Jurius(Unsplash)
集英社が刊行する「週刊少年ジャンプ」といえば、現在も連載中の『ONE PIECE』を筆頭に、これまでに『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』『幽☆遊☆白書』『こちら葛飾区亀有公園前派出所』『鬼滅の刃』『銀魂』などの傑作を世に送り出してきた、日本漫画史を語る上で欠かせない雑誌である。
【写真】四皇・百獣のカイドウの子である「ヤマト」のフィギュアは、どこからも見てもかわいすぎる無邪気な子供の姿を見る
『ハレンチ学園』ではPTAを巻き込んだ大論争が巻き起こったと思えば、反戦漫画の名作である『はだしのゲン』もジャンプの連載作品であったなど、掲載されている漫画が多種多様なのもジャンプらしい特徴である。
さて、そんなジャンプだが、創刊されたのは、1959年に創刊された「マガジン」「サンデー」よりもずっと後で、1968年のことである。しかもこの頃は「週刊」ではなく、1ヶ月に2回のペースで刊行される雑誌だった。ジャンプが軌道に乗って週刊になるのは翌年1969年のことだ。創刊号にはいったいどのような漫画が掲載されていたのだろうか。あまり知られていない。ラインナップは以下のとおりである。
『くじら大吾』梅本さちお
『大暴れアパッチ君』赤塚不二夫
『地獄剣』高野よしてる
『父の魂』貝塚ひろし
『ハレンチ学園』永井豪
『ドル野郎』望月三起也
『フラッシュ・ゴードン』ダン・バリー
『手』楳図かずお
全8作品で、赤塚、永井、楳図を筆頭に今でこそ著名な作家が多いが、手塚治虫クラスのベテラン勢が少ない印象を受ける。それは事実で、ジャンプは後発だったため、人気のある漫画家に連載を依頼することができなかったのだ。
そんな創刊号の目玉作品だったのが、梅本さちおの『くじら大吾』である。主人公は孤児として成長した大吾で、巨大な体を武器に夜間中学の仲間たちとともに共闘する物語だ。絵柄も内容も、いかにも1960年代の少年漫画といった感じである。実は「ジャンプ」の創刊号はほとんど読切で占められていたため、『くじら大吾』は実質的に最初期の連載作品と言っていい。
表紙にも主人公の全身が描かれ、「おお、けたはずれにおもしろい‥‥新人No1漫画家のNo1漫画」とキャッチコピーが掲げられていたことからもわかるように、編集部一押しの若手作家だったことがわかる。梅本は1943年の生まれなので、連載開始当時は25歳。ちばてつやのアシスタントを経て連載作家となった若手であった。
しかし、『くじら大吾』はあまり読者に支持されることがなく、その後は有名なジャンプの専属契約を断ってジャンプを去った。『くじら大吾』は集英社からではなく他社から単行本が出ているが、雑誌の出版社から単行本が出ないこと自体は、当時としては珍しいことではなかった。
こうして、新人作家が中心の雑誌としてスタートしたジャンプは、当初は苦戦を強いられた。しかし、この悪戦苦闘を経てジャンプが新人の発掘に力を入れるようになり、編集者と新人漫画家が二人三脚で作品を生み出すジャンプのヒット方程式へと結びついたのである。
もし、ジャンプが創刊号から手塚治虫などの大御所に依頼できていたら、どうだっただろうか。ひょっとすると『ドラゴンボール』などの大ヒット作は生まれなかったのかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4e5eedf02f5f91e8306082dfcae71030cbc40eab
引用元:https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1690885171/
俺が生まれた年か
はぁ…
>>1
を読まないで書き込むやつってなんなんだろうね
> トキワ荘の住人はいたの?
>>1に赤塚不二夫の名が。。。
さすがに「ハレンチ学園」しかわからない
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E6%9C%AC%E3%81%95%E3%81%A1%E3%81%8A
梅本 さちお(1943年2月6日 – 1993年9月6日)
>1970年より『少年キング』(少年画報社)に花登筺の原作による『アパッチ野球軍』を連載。
>同作は翌年にテレビアニメ化され、ヒット作となっている。
https://static.mercdn.net/item/detail/orig/photos/m54975249982_1.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E6%9C%AC%E3%81%95%E3%81%A1%E3%81%8A
アパッチ野球軍の原作ってこんな絵だったのか タイガーマスクみたいにアニメと絵柄違ってたんだな
アパッチと男ドあほう甲子園が同じ世界観って凄いよな
甲子園は水島ワールドに吸収されたが
父の魂も連載漫画じゃんなあ
>>1の記事はおかしいんだよ
ほとんどって書いるよね
「父の魂」
ちょっとジワる
昭和・平成
ジャンプ黄金期
600万部のころをなぜ抜く
600万部の頃はもうピークアウトだよ
もうろくな漫画残ってなかった
いやさすがに60代後半でやっとリアタイ世代だろw
50後半〜60前半の人がここら辺の事よく語ってるな
ハレンチ学園とデロリンマンは凄いトレンドだったとか
アラフィフ生まれる前や
アラ還でもわからないんじゃないか?
俺ジャンプと年が同じだ。セブンスターも同じ年
アラフォーだけどハレンチ学園だけは知ってる
60代の叔父が昔買ってた漫画を読んだから
つまり最古のジャンプ世代はアラカン
本当に知らないのか?W
当たり前だのクラッカーを知ってるってことは
赤胴鈴之助の世代か?
流石に永井ぐらいは知っとけwガンダムやエヴァへの影響という意味では遠い先祖の作品描いてるし
あと楳図もホラーの大御所で一応現役だし
締め切りだーって他誌の編集者が鉢合わせって
その状況の方が異常だよね
手塚治虫なんかほとんど寝てないっていうもんね
もう少し長生きして欲しかった
亡くなった時すっかりお爺ちゃんみたいになってたけど
まだ六十歳くらいだもんなあ
この頃の人は美空ひばりや石原裕次郎も52歳で亡くなってるけど今の50代に比べたら遥かに貫禄あったな
花王名人劇場とか見るといとこい先生とかもうお爺ちゃん
なんだよ
でも年齢を調べるとまだ五十代という衝撃
自分が石原裕次郎より年長になったと知ったときの衝撃…w
今と違ってシンプルな絵柄だから出来たんだろうけど
コロコロポロンの人は月刊と週刊合わせて7本くらい掛け持ちしてて
血便が出たと言うね
でも、トーンがない自体で編みかけとか自分でペンで描いてたんやで
水島新司は1977年には全部が週刊連載ではないけど
週間少年チャンピオン=ドカベン
週間少年マガジン=野球狂の詩 水原勇気編
週間少年サンデー=一球さん
まんがくん(月2回)=球道くん
ビックコミックオリジナル(月2回)=あぶさん
を全部やってた時期があるかも(野球狂と一球さんは1977年終了)
一番油が乗ってた時期かな
その合間に神宮外苑で草野球リーグだろ。タフすぎる
年間200試合ほとんど先発
マガジン デビルマン
サンデー ケダマン
キング スポコンくん
チャンピオン あばしり一家
ジャンプ ハレンチ学園
5大少年週刊誌に同時連載したことあるのは永井豪だけ
ジョージ秋山が同時期に6誌やってるよ
「マガジン」で『ほらふきドンドン』、「サンデー」で『銭ゲバ』、「ジャンプ」で『デロリンマン』、「チャンピオン」で『ざんこくベビー』、「キング」で『ズッコケ仁義』、そして「週刊ぼくらマガジン」で『どくとるナンダ』
赤塚不二夫はマガジン、サンデーに作品出してたな
あれこそまさに表現の自由を体現した漫画だな
ヲタ向けのエロ漫画も全てこっから派生してる
西村編集長の視点だからその辺は注意して見る必要があるんだが
>>14
本宮は西村が拾った秘蔵っ子漫画家で、最初期に永井とともにジャンプを支え発展させた
漫画家だが実は創刊号にはいないのよな。創刊何号だったかは忘れたが一桁では
あったと思う
>>23
違う。安定し絶対的な存在になり始めたのはその頃だが、70年代中盤にはすでに少年誌トップだったよ
その後77、8年頃にチャンピオンに数週だけ僅差でトップ取られたのと70年代初頭だけ60年代黄金時代の
マガジンの余勢があっただけで、初期の70年代だけでもジャンプは全般的にはトップ雑誌だった
マガジンは「大学生がマンガを読む」というので話題になったが、
それでいかにも子供向けのマンガが減り、
そっちをジャンプが攻めて逆転した感じ
>>368
「侍ジャイアンツ」はアニメ化が決定してから人気が出たと書いてあったが、
これは「ど根性ガエル」の記憶違いでは?と思った
「侍ジャイアンツ」は「巨人の星」が終わってしばらくして始まったから、
初期から話題になってたし
「ど根性ガエル」は確かにアニメの方が面白かった記憶
懐かしいな
クリリンがドドリアに追いかけられてる話辺りで2話掲載されてて舞い踊った記憶がある
ど根性カエルくらいしか知らん
ジャンプ作品だと知らずにアニメ見てるような感じ
トイレット博士、侍ジャイアンツは?
>>20
思い切り連載されてます
はだゲンてジャンプ連載だったのか…
そうですよ、休載して紆余曲折あり
単行本はジャンプ以外から発行された
そういう事ね
ジャンプコミックスの印象なかったからさ
俺が読み始めた頃だ
>>32
アストロ球団か…
なんかやきうの漫画なのに影腹切ってたり、相手ピッチャーが投げる度に
『おんどれー!』
『腐れ外道!』
とか罵ったり、
背景が真珠湾攻撃だったり、なんか良く解らん漫画だったな。
『こんド○クラが~っ』
『キ○ガイかーっ』
とかもっとひどかったですよ。
あと、真珠湾攻撃ではなく神風特攻ですね。
元特攻隊員氏家慎次郎のビーンボール魔球のシーンの背景。
なんつうか目次からもうパワーみなぎってるな
知ってるのも多いしどれもタイトルからして読んでみたくなる
ドリフとかヤングオーオーとか漫画にするのもスゴイ
この時代に毎週読んでいた
スナミ先生に心酔していた
あれ?こち亀は?
こち亀は昭和51~52年じゃないかな
この目次は昭和48年
あー創刊号からいたんだと思ってた
何年か経ってからなんやな
本宮ひろ志は大ぼら一代の前の男一匹ガキ大将の方が連載長かった
この頃は月刊に連載されてたちばあきおのキャプテンが好きだったな
ジョージ秋山の漫画が気になって仕方ない
いい意味でジョージ秋山らしくない正統派サスペンスの傑作
ジョージ秋山作品は途中から故意に話を破綻させていく場合が多いが、この話は最後までそういうことをせずにしっかりした結末になっている
サンデーの告白なんて頭おかしいもんな
だって連載一回目が
俺はパンパンから生まれた黒人との混血児で
子供の頃に人を殺したと言う告発から始まるんだもん
今なら尾田栄一郎が、俺は実は宇宙人でM78星雲からやって来た
と言う漫画を書くようなもんだ
昔の漫画界はちょっと異常だよ
灰になる少年とはだしのゲンて一緒に連載してたのか
イサムがこの時代のジャンプの顔だったんだよな
なぜか無かったことにされてるけど
トイレット博士、侍ジャイアンツは?
>>20
思い切り連載されてます
はだゲンてジャンプ連載だったのか…
そうですよ、休載して紆余曲折あり
単行本はジャンプ以外から発行された
そういう事ね
ジャンプコミックスの印象なかったからさ
俺が読み始めた頃だ
>>32
アストロ球団か…
なんかやきうの漫画なのに影腹切ってたり、相手ピッチャーが投げる度に
『おんどれー!』
『腐れ外道!』
とか罵ったり、
背景が真珠湾攻撃だったり、なんか良く解らん漫画だったな。
『こんド○クラが~っ』
『キ○ガイかーっ』
とかもっとひどかったですよ。
あと、真珠湾攻撃ではなく神風特攻ですね。
元特攻隊員氏家慎次郎のビーンボール魔球のシーンの背景。
なんつうか目次からもうパワーみなぎってるな
知ってるのも多いしどれもタイトルからして読んでみたくなる
ドリフとかヤングオーオーとか漫画にするのもスゴイ
この時代に毎週読んでいた
スナミ先生に心酔していた
あれ?こち亀は?
こち亀は昭和51~52年じゃないかな
この目次は昭和48年
あー創刊号からいたんだと思ってた
何年か経ってからなんやな
本宮ひろ志は大ぼら一代の前の男一匹ガキ大将の方が連載長かった
この頃は月刊に連載されてたちばあきおのキャプテンが好きだったな
ジョージ秋山の漫画が気になって仕方ない
いい意味でジョージ秋山らしくない正統派サスペンスの傑作
ジョージ秋山作品は途中から故意に話を破綻させていく場合が多いが、この話は最後までそういうことをせずにしっかりした結末になっている
サンデーの告白なんて頭おかしいもんな
だって連載一回目が
俺はパンパンから生まれた黒人との混血児で
子供の頃に人を殺したと言う告発から始まるんだもん
今なら尾田栄一郎が、俺は実は宇宙人でM78星雲からやって来た
と言う漫画を書くようなもんだ
昔の漫画界はちょっと異常だよ
灰になる少年とはだしのゲンて一緒に連載してたのか
イサムがこの時代のジャンプの顔だったんだよな
はぁ…
>>1
を読まないで書き込むやつってなんなんだろうね
リアルタイムで読んでた世代だけど毎週他のは全部複数回堪能して最後の最後に仕方なく目を通してたよ
それでも今ふりかえるとフォークロア、人間讃歌として佳作だとおもう。歴史認識的観点からは集英社の連載終了以降、変な機関誌の掲載箇所、たとえば悪名高い中帰連の主張をそのまんま模倣した描写があってあの部分まで無警戒にマルチリンガルで翻訳する活動には閉口している
安定してトップなのはリンかけ以降
リングにかけろってキン肉マンとかより前だよな?
リンかけ77年キン肉マン79年しかもキン肉マンの人気が出たのは超人オリンピックの後半から
男一匹ガキ大将→アストロ球団→リングにかけろ!→放散
歴史的な流れを語るなら、アストロ球団も必須の存在かと。
ジャンプの歴史ならそうだがアストロ球団の後チャンピオンに抜かれてるので絶対王者になったのはリンかけ以降で正しい
黄金時代の後にもマガジンに一度抜かれるわけだが
あれグラフ見るとマガジンが伸びたっていうよりジャンプが急激に下がっただけなのよね
DBが終わったら百万部はすぐ落ちると友達に話してたらスラムダンクまで終わって
次の看板がるろうに剣心なんだからそりゃ三百万部落ちてもしょうがない
珍遊記、ボーボボ、マサルさん、幕張のギャグ路線はちょっと年齢層高いメイン購買層には凄い不評だった
あの頃はDBやスラダンがあるから我慢して買ってるという人が多かったね
あの不条理ギャグマンガ攻勢が失敗だったわな
あんなもん巻末に1本ありゃいいのに2本も3本も連載させるし
ボーボボだけ年代違うぞ
珍遊記はいうまでもなく
幕張、マサルは大人気やし
その手のが人気が出たところで部数は伸びないって話よ
ドラゴンボールにダイの大冒険にスラムダンクに幽遊白書と人気作が相次いで連載終了したからな>売上急減
ご存命は2人だけ?
>>335
チャンピオンは休刊?
少なくとも楳図かずおと永井豪ちゃんは生きてるな
ちばてつやとか川崎のぼるや矢代まさこもまだ生きてるぞ
西村編集長の視点だからその辺は注意して見る必要があるんだが
>>14
本宮は西村が拾った秘蔵っ子漫画家で、最初期に永井とともにジャンプを支え発展させた
漫画家だが実は創刊号にはいないのよな。創刊何号だったかは忘れたが一桁では
あったと思う
>>23
違う。安定し絶対的な存在になり始めたのはその頃だが、70年代中盤にはすでに少年誌トップだったよ
その後77、8年頃にチャンピオンに数週だけ僅差でトップ取られたのと70年代初頭だけ60年代黄金時代の
マガジンの余勢があっただけで、初期の70年代だけでもジャンプは全般的にはトップ雑誌だった
マガジンは「大学生がマンガを読む」というので話題になったが、
それでいかにも子供向けのマンガが減り、
そっちをジャンプが攻めて逆転した感じ
>>368
「侍ジャイアンツ」はアニメ化が決定してから人気が出たと書いてあったが、
これは「ど根性ガエル」の記憶違いでは?と思った
「侍ジャイアンツ」は「巨人の星」が終わってしばらくして始まったから、
初期から話題になってたし
「ど根性ガエル」は確かにアニメの方が面白かった記憶
わたしからは以上だな ミカエル(悟ったもの)より
バーカ
元の人気があったんだろ?
かずおはこのころめちゃくちゃ人気あって連載をいくつも抱えてた
永井はまだデビュー間もない新人
赤塚も人気作家だが、このころの主戦場はマガジンだったんじゃないかな
今じゃ考えられない
俺が読んでた頃はアストロ球団 スケバン嵐 トイレット博士とか
そういや池沢さとしも、なんかエロ漫画みたいの描いてた気がする
>>32
アストロ球団か…
なんかやきうの漫画なのに影腹切ってたり、相手ピッチャーが投げる度に
『おんどれー!』
『腐れ外道!』
とか罵ったり、
背景が真珠湾攻撃だったり、なんか良く解らん漫画だったな。
『こんド○クラが~っ』
『キ○ガイかーっ』
とかもっとひどかったですよ。
あと、真珠湾攻撃ではなく神風特攻ですね。
元特攻隊員氏家慎次郎のビーンボール魔球のシーンの背景。
立役者でもあるしジャンプバトル漫画や超人スポーツ漫画の基礎を作った作品
はっきり言って過小評価すぎる漫画
ジャンプ特有の
パワーインフレや土台からひっくり返すチート設定という
知能指数低い子供ダマして売れりゃいいという子供ダマシの発明はもっと評価されて然るべき
ジャンプ特有というけど
ドラゴンボールとワンピースだけだよな
『男一匹ガキ大将』だタコ
女人気なかった
腐女子向けに舵を切ったのはキャプテン翼からだ
あれ以降何かジャンプの方向性がおかしくなった
アストロ球団の球三郎で、既に腐女子向けだった
サーキットの狼だな
リンかけが人気になって集英社の正面玄関を改築できたから、リンかけ階段と呼ばれたらしい
時代はジャンプ+なんだろ?
このスレの内容は古すぎる
大人になって1970年代の赤塚不二夫の単行本古本で買い漁ったわ
レッツラゴンとか面白かったな
ひろゆきと同世代じゃないの?
キン肉マンが一番のお目当てだった
マッスルブラザースとヘルミッショネルズの激熱対戦な
毎週楽しみやった
イサムなんだよな~
床屋に行くと男一匹ガキ大将の単行本置いてあった
『大暴れアパッチ君』赤塚不二夫
『ハレンチ学園』永井豪
『ドル野郎』望月三起也
『手』楳図かずお
この四人だけだな。
ど根性ガエルやトイレット博士が看板だった時代のジャンプを語れるやつは中々いないよな
俺等の世代がジャンプ読みだしたのはキン肉マンの悪魔超人編が人気になってきた小学生時代だと思う
トイレット博士は、後半まったく出てこなくなり、スナミ先生のメタクソ団を軸に話が回ってた。
とりいかずよし、車田正美、柳沢きみおのコラボ漫画とかあったなあ。
うんこちゃんていううんこを食べる女の子がいたな
一朗太
マタンキ!
トイレット博士は初期のを読むとギャグというより人情話
くみ取りの仕事をしてる母ちゃんが嫌だったけど
ある日トイレが事故で逆流してウンコが吹き出してて
それを母ちゃんが勇敢に直してくれたのが嬉しくて母ちゃんを見直した
って話だった
かろうじて古本捨ててあるので読んだくらいかな
ど根性カエルが載ってた
チャンピオンが最強だったなマカロニ、BJ筆頭に
その頃の筆頭は、がきデカとドカベンだよ。表紙は、大体この2作品で占めていた。
コメント