眞人の疎開先にある謎の塔。きっと、イメージの源泉は江戸川乱歩の『幽霊塔』だと思いますが、比喩としてはスタジオジブリを表していると感じました。
そして、大叔父は宮崎監督で、高畑勲監督で、森康二さんぽくもあった。だけど、「13個の積み木」のことを考えると、おそらく宮崎監督が強そうです。こちらの13作品のことを指しているんじゃないかと思います。
未来少年コナン、カリオストロの城、風の谷のナウシカ、天空の城ラピュタ、となりのトトロ、魔女の宅急便、紅の豚、もののけ姫、千と千尋の神隠し、ハウルの動く城、崖の上のポニョ、風立ちぬ、君たちはどう生きるか。ただ、ジブリ作品以外も入っているので、根本の考察が間違っている可能性もあります。
そのほか登場キャラクターも、それぞれモデルがいそうな感じがします。何でも教えてくれる優しいキリコは、きっと高畑勲監督。あのお墓に関しては、きっとそういう意味があるんだと思います。
そして、制作時からずっと言われていたことですが、「鈴木敏夫さんがモデルの人間じゃないキャラクター」というのは、当然アオサギ。主人公・眞人には、宮崎監督だけじゃなくて、吾朗さんやお孫さんも投影されているように感じます。それでいうと、眞人を異世界に引きずり込んだアオサギは、アニメーション業界に吾朗さんを引きずり込んだ鈴木さんと重なります。
ペリカンは何だろう。「我ヲ學ブ者ハ死ス」の門をこじ開けて、中に眞人を入れたこと考えると、アニメーターということでしょうか。
そうすると、やけに立派だった老ペリカンが気になるところで、これこそ高畑監督か、それもとも森康二さんか、いや近藤喜文監督も考えられそうですね。
そう考えると、「ズタボロにしてごめんな」という宮?ア監督の声がきこえてきそうです。
最後に、怒ってすべてをぶっ壊してしまうインコ大王はなんでしょうか。スポンサーか、広告代理店か、もしくは観客か。否、いい加減に語っているので、すべて外れているかもしれません。
ここら辺のことも、もう少し鑑賞を重ねて考えたいところですね。
宮崎駿監督といえば、ことあるごとに母親を投影したキャラクターを登場させてきました。
監督自身がインタビューで話しているように、母親はカリエスで身体を悪くしていたため、子供時代に寂しい思いをしたことを明かしています。
甘えたいときに甘えられなかったという思いが募り、映画では亡くなった母親を登場させるようになります。『天空の城ラピュタ』では若き日の母親をシータに、精神的な強さをドーラに投影しました。
そのほかにも、『となりのトトロ』の草壁ヤス子、『崖の上のポニョ』のトキさんと、さまざまなキャラクターに母親の面影を重ねてきました。
そして、本作の主人公・牧眞人の母親は、物語冒頭で火事に巻き込まれて死んでしまいます。
母への思いを募らせた眞人には、もちろん宮崎監督が投影されいて、その母親・ヒミには監督自身の母親が投影されていることは明らかです。
シータにも少女時代の母親を投影してきましたが、今回は物語の設定上も主人公の母親です。なんだか、とても際どいものがあります。
ここまで真っ正面から、母親のことを描いたのは初めてじゃないでしょうか。
宮崎監督は、これまでにも作品を作ることで、いろいろな抱え込んだものを手放してきましたが、今回はついに母親への思いから解放されたのだと思います。
そして今回は、宮崎監督の父親も登場しています。眞人の父は戦闘機工場で働いており、自宅には戦闘機の風防を持ってきています。あれは、宮崎監督の幼少期の記憶をそのまま再現したものと思われます。
監督の実際の父親・勝次さんは、軍用機の部品を作る工場を経営していたことから、自宅にはゼロ戦の風防が置いてあったといいます。当時子供だった宮崎監督には何かわからなかったそうですが、キラキラしていて綺麗だった記憶があり、後に風防だったと気づいたそうです。
宮崎監督は、この映画で両親との別れの挨拶をしたのだなぁ、と感じました。
宮崎駿監督は『千と千尋の神隠し』の頃から、ことあるごとに「あの世」を描いてきました。
今回もあの世が登場するに違いないとは思っていましたが、それが想像以上にちゃんとあの世です。比喩としてのあの世じゃなくて、『すずめの戸締まり』と同じくらい、あの世です。
実際に、一度そっちの世界を覗いて帰ってきたかのようなリアリティ。ただ、これから生身の肉体に入ると思われる霊魂のワラワラの居場所でもあるので、魂の浄化場所のようなイメージもありました(それをあの世と言うのかもしれない)。きっと、みんな一度はこの世界を抜けて、人間の世界に行くのでしょう。そして死んだら戻ってくる。
その生命の誕生と死を思わせる世界には、『海獣の子供』という映画が思い浮かびました。映画の内容はまったく別物ですが、これもずいぶん観念的な作品でして、生命の秘密に触れるような試みであったり、生命というものに関するとらえ方や、非常に言語化しづらいものを映像で表現しているところに通ずるものを感じました。米津さんの歌詞にもある「大切なことは、言葉にならない」ということだと思います。
偶然ですけど、この作品も音楽は久石譲さんで、主題歌が米津玄師さんなんですよ。
以前のドキュメンタリーで宮崎監督は、新作について「何が何だか全然わかってないけど、モヤモヤと、あっちのほうに行くんだ。そこには入ったことがないってところに行くんですよ。触れてこなかったところに、触れるんですよ」と話していました。
これはきっと、あの世のことと亡くなった母親のことだったのでしょう。このふたつのテーマに真っ正面からぶつかること。
公開前には、物語の舞台は一切明かされていなかったのですが、実は2019年に公表された一枚の絵から、舞台は太平洋戦争下ではないかという予想が、ジブリファンの間では出ていました。
1枚の絵というのは、ジャズピアニストのジョバンニ・ミラバッシ氏に提供された、「MITAKA CALLING -三鷹の呼聲-」というCDジャケット。これは、スタジオジブリ作品の楽曲をカバーしたアルバムで、ミラバッシ氏と親交のあった宮崎監督が提供したことで話題となりました。
君たちはどう生きるか
この絵が、燃え盛る街並みと少年というもので、新作のイメージボードを提供したのではないかとみられていました。
そういったことから、事前情報まったく無しといった触れ込みですけども、ある程度の情報が集まっていました。
いざ、映画が始まると冒頭からイメージボードのシーンがやってきて、おおやっぱりか、なんて思っているのも束の間、宮崎駿監督のアウトプットの博覧会といった映像の連続。これまでに蓄えたイマジネーションの在庫を、惜しみなく放出しているような印象を受けました。
その宮崎監督のアイデアを映像化した作画陣の皆さんにも感服します。エンドロールには、作画監督の本田雄さんをはじめとして、安藤雅司、井上俊之、大平晋也、賀川愛、高坂希太郎、近藤勝也、田中敦子、山下明彦、稲村武志、米林宏昌(敬称略)など、そうそうたるメンツが並んでいます。ただ、思ったより人数が少ないように感じました。少数精鋭で作っていたのかもしれません。なにしろ、作画に入ってから長かったですからね。
異世界に入るまでの展開というのは、新しい切り口を見つけたというだけあって、さすがの面白さがありました。前半と後半で、まったく違う映画に切り替わるというのは、たしかに宣伝を打たないほうが面白みがあります。
事前に鈴木さんは、冒険活劇ファンタジー映画であることは公言していましたけど、これも言わないほうがインパクトが大きかったんじゃないでしょうか。
なぜ引退した宮崎監督が突然引退を撤回したのか。
鈴木敏夫著『ジブリの文学』のあとがきには、宮崎監督はアイルランド人の書いた児童文学を読み、その本に刺激を受けたことから映画化を提案したといいます。
その本というのは明言されていませんが、ジョン・コナリーの『失われたものたちの本』ではないかと思われます。
宮崎駿監督が帯の推薦文を書いていることでも知られていて、ジブリ美術館でも販売されていることから、ジブリファンの間では原案になった本として周知されていました。
ジブリの文学 失われたものたちの本
内容のほうはというと、舞台は第二次大戦下のイギリス。母親を亡くした少年のデイヴィッドが、死んだはずの母親の声に導かれ、幻の王国に迷い込むというもの。そこは、おとぎ話の登場人物が生活する、物語の世界。そこでデイヴィッドは、木こりと出会い冒険へと出る。
対する『君たちはどう生きるか』は、太平洋戦争下で母親を亡くした少年の牧眞人が、アオサギに導かれて、あの世と思われる世界に入り込む。そこは、おとぎの国のような異世界で、キリコという女性と出会う。
この物語の流れを考えれば、参考にされていたのは間違いなさそうです。
以前、宮崎監督はドキュメンタリー番組で、ある本について、「何度も熱読したからね。こういう世界のつかまえ方、描き方があるんだなって、何もなくなったわけじゃないなって」と触発されたことを明かしていました。
かねてから、主人公が異世界に入り込むときのパターンというのは擦られすぎていて、面白くないと。そこで見つけた新しい切り口というのが、この『失われたものたちの本』だったと思われます。
やっぱ頭弱い子に漬け込んで色んな女と
セクロスしまくり 奥さんてか
同居人?に動物の世話させたりしてた 車の中で自分のものおっ立てて写メ
喘息で入院とかしたときは入院患者の子供にお菓子あげたりして狙ってたし里親になりたいとか 今考えると似てて気持ち悪い
性欲強い男は気持ち悪いよね
そしてめちゃくちゃ嘘つき
まじでそれなんだと思う
この被害者のお涙頂戴話はちょっと信じられない
家庭内別居
被害者家族からはコメントでない
お小遣い持たせてたくらいだし
性欲が減退する薬なんて色々あるんだから治療して欲しいね
生息地を次々と出入り禁止の形で追われ、その間に本質は変わらなかった。
事件初期の同僚のコメントが別の人の評に思えるぐらい。
究極のマザコン映画
メインヒロインのヒミは実母(少女の姿)で、サブヒロインの夏子は義母にして叔母
120分間ひたすら「母親が好き!母親が好き!母親が大好き!!!」とシャウトされるような映画です、マジで
たまげたとしか言いようがない
親が精神科医というのがスゴい
犯人の精神科医がアホだったってだけかと
手の込んだことをすればするほど罪が重くなるというのに
あることないこと語りつくせる喜びがあるのは
丸ごとカオスのこのスレッドだけ。
宮崎駿監督の自伝になっており、5つのパートに分かれている(普通の映画は4パート)全体的に抽象度が高くあらゆる登場人物や事物がモチーフや隠喩を含んでいるので理解できない。
各パートのコンセプトや駿氏にとっての意味合いを以下の通り考察した。
Aパート:家族編(木村拓哉)
Bパート:アオサギ編(菅田将暉)
Cパート:キリコ編(柴咲コウ)
Dパート:ヒミ編(あいみょん)
Eパート:大叔父編(火野正平)
Aパート:家族編
始まり。風立ちぬを思わせる戦時中の描写。宮崎駿少年と家族との関係が描かれる。氏の平和への想いと武器(戦闘機)への憧れという矛盾が交雑する。
Bパート:アオサギ編
駿氏の持つ癖の中で悪意の部分が見える。それは作品中の表現の背景を口外しないこと。本作では学校へ行かない理由を作るために駿少年が自分で頭に石で傷をつけるシーンとして描かれる。Bパートはアオサギとの格闘を通して異世界転生するのだがその案内人(アオサギ)のモチーフは鈴木敏夫かな?いずれにせよ、導かれて駿氏はファンタジー作家となる
Cパート:キリコ編
異世界の水先案内人のキリコは、他の宮崎作品で言えば千と千尋に出てくるリンや、魔女の宅急便のウルスラにあたる人物。陽気で前向きな性格で駿少年に魚の捌き方から世界の成り立ち(特に人間の生と死と不条理)を教える。駿青年の二十代から三十代を表している。
Dパート:ヒミ編
次のヒミ編は冒険活劇となっている。逞しく成長した駿氏は敵(インコ達)と戦いながらヒット作を出してゆく。インコ達は烏合の衆を表していると思われる。ヒミのモデルはわからないが駿氏の母であり、マリア、つまり巫女的な存在である。
Eパート:大叔父編
世界を司る大叔父のモチーフは親友であり師匠であった高畑勲だと思われる。大叔父から「13の積み木を3日毎に積み上げ美しい世界を維持すること」と託される駿氏だがそれを選択しない。13は駿作品の数、積み木はすでに出来上がったものの隠喩と思われる。つまりこれまでの作品のモジュールを組み替えながら商業作品を生み出すように示唆されると言うこと。しかし、駿氏はそれを拒否し、友達と共に現実の世界で生きることを選ぶ。
ルナ覚醒「女装のおっちゃん、御仕置きよ」と
電光石火の首チョンパついで持ち帰り
宮崎駿監督の自伝になっており、5つのパートに分かれている(普通の映画は4パート)全体的に抽象度が高くあらゆる登場人物や事物がモチーフや隠喩を含んでいるので理解できない。
各パートのコンセプトや駿氏にとっての意味合いを以下の通り考察した。
Aパート:家族編(木村拓哉)
Bパート:アオサギ編(菅田将暉)
Cパート:キリコ編(柴咲コウ)
Dパート:ヒミ編(あいみょん)
Eパート:大叔父編(火野正平)
Aパート:家族編
始まり。風立ちぬを思わせる戦時中の描写。宮崎駿少年と家族との関係が描かれる。氏の平和への想いと武器(戦闘機)への憧れという矛盾が交雑する。
Bパート:アオサギ編
駿氏の持つ癖の中で悪意の部分が見える。それは作品中の表現の背景を口外しないこと。本作では学校へ行かない理由を作るために駿少年が自分で頭に石で傷をつけるシーンとして描かれる。Bパートはアオサギとの格闘を通して異世界転生するのだがその案内人(アオサギ)のモチーフは鈴木敏夫かな?いずれにせよ、導かれて駿氏はファンタジー作家となる
Cパート:キリコ編
異世界の水先案内人のキリコは、他の宮崎作品で言えば千と千尋に出てくるリンや、魔女の宅急便のウルスラにあたる人物。陽気で前向きな性格で駿少年に魚の捌き方から世界の成り立ち(特に人間の生と死と不条理)を教える。駿青年の二十代から三十代を表している。
Dパート:ヒミ編
次のヒミ編は冒険活劇となっている。逞しく成長した駿氏は敵(インコ達)と戦いながらヒット作を出してゆく。インコ達は烏合の衆を表していると思われる。ヒミのモデルはわからないが駿氏の母であり、マリア、つまり巫女的な存在である。
Eパート:大叔父編
世界を司る大叔父のモチーフは親友であり師匠であった高畑勲だと思われる。大叔父から「13の積み木を3日毎に積み上げ美しい世界を維持すること」と託される駿氏だがそれを選択しない。13は駿作品の数、積み木はすでに出来上がったものの隠喩と思われる。つまりこれまでの作品のモジュールを組み替えながら商業作品を生み出すように示唆されると言うこと。しかし、駿氏はそれを拒否し、友達と共に現実の世界で生きることを選ぶ。
祖父も大概おかしいから全部は信じられない
一方、自分の性に悩むルナちゃん
こういうの嫌だから常連のいるバーなんて近寄らないほうが良い
ただのバーじゃない、ハプバー
静かにお酒飲む場所ではない
もし噂が事実なら世論が加害者側に同情するから裁判まであんまり情報でなさそう
聖人みたいな人物評価の上級さえこれだもの
もう誰も信用できないわ
各パートのコンセプトや駿氏にとっての意味合いを以下の通り考察した。
Aパート:家族編(木村拓哉)
Bパート:アオサギ編(菅田将暉)
Cパート:キリコ編(柴咲コウ)
Dパート:ヒミ編(あいみょん)
Eパート:大叔父編(火野正平)
Aパート:家族編
始まり。風立ちぬを思わせる戦時中の描写。宮崎駿少年と家族との関係が描かれる。氏の平和への想いと武器(戦闘機)への憧れという矛盾が交雑する。
Bパート:アオサギ編
駿氏の持つ癖の中で悪意の部分が見える。それは作品中の表現の背景を口外しないこと。本作では学校へ行かない理由を作るために駿少年が自分で頭に石で傷をつけるシーンとして描かれる。Bパートはアオサギとの格闘を通して異世界転生するのだがその案内人(アオサギ)のモチーフは鈴木敏夫かな?いずれにせよ、導かれて駿氏はファンタジー作家となる
Cパート:キリコ編
異世界の水先案内人のキリコは、他の宮崎作品で言えば千と千尋に出てくるリンや、魔女の宅急便のウルスラにあたる人物。陽気で前向きな性格で駿少年に魚の捌き方から世界の成り立ち(特に人間の生と死と不条理)を教える。駿青年の二十代から三十代を表している。
Dパート:ヒミ編
次のヒミ編は冒険活劇となっている。逞しく成長した駿氏は敵(インコ達)と戦いながらヒット作を出してゆく。インコ達は烏合の衆を表していると思われる。ヒミのモデルはわからないが駿氏の母であり、マリア、つまり巫女的な存在である。
Eパート:大叔父編
世界を司る大叔父のモチーフは親友であり師匠であった高畑勲だと思われる。大叔父から「13の積み木を3日毎に積み上げ美しい世界を維持すること」と託される駿氏だがそれを選択しない。13は駿作品の数、積み木はすでに出来上がったものの隠喩と思われる。つまりこれまでの作品のモジュールを組み替えながら商業作品を生み出すように示唆されると言うこと。しかし、駿氏はそれを拒否し、友達と共に現実の世界で生きることを選ぶ。
「おそらく、訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳が分からないところがありました」。
2023年2月下旬、東京都内のスタジオで上映された、「君たちはどう生きるか」の初号試写。米津玄師の歌うピアノバラードが流れ、エンドロールが終わった瞬間、灯りが点き、宮崎駿監督のコメントが読み上げられた。
客席から軽い笑い声が漏れた。私もその一人だった。あまりの展開の速さと、盛り込むだけ盛り込まれた情報を消化しきれず、茫然と座り込んでいたが、その言葉で我に返った。
これは「宮崎アニメ」の集大成なのか、吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』の再解釈なのか。とにかく、1回見ただけではとても全容を把握できなかった。
「自分のことをやるしかない」
今回の作品は、公開前のプロモーションも、メディア関係者向けの試写も一切ないまま公開日を迎えた。異例の態勢の中、内容は無論、見たことすら口外無用のキャスト・スタッフ向け試写に、なぜ私と両親が呼ばれたのかといえば、父が『君たちはどう生きるか』の著者・吉野源三郎の長男で、私が孫にあたるからだ。
その5年ほど前の2017年11月、父と私は東京・小金井のスタジオジブリに招かれ、宮崎監督と対面していた。さらにさかのぼること半月ほど前、とあるイベントで宮崎監督が突然、次回作のタイトルが「君たちはどう生きるか」だと明らかにし、ニュースなどで話題になっていた。親族としては寝耳に水だったのでかなり驚いたのだが、宮崎監督は「うっかり喋ってしまいました」と詫びた上で、作品について語り始めた。
本名違うよね
宮崎監督によれば、引退宣言を撤回して臨んだ今回の作品は「ずっと自分が避けてきたこと、自分のことをやるしかない」という思いだったそうだ。「陽気で明るくて前向きな少年像(の作品)は何本か作りましたけど、本当は違うんじゃないか。自分自身が実にうじうじとしていた人間だったから、少年っていうのは、もっと生臭い、いろんなものが渦巻いているのではないかという思いがずっとあった」
ちょっと服揶揄っただけなのにーだってさ
クラスに一人はいるクソムカつく男子だったんだろうな
子供のとき服からかわれて死ぬほどムカついたからわかる
どんな服だったの?
普通の子がスニーカーなのに赤いお人形みたいな革シューズとか
うちの親が少女趣味で浮いててからかわれて本当に嫌だった
服をハサミでズタズタにしてようやく浮かない服にしてもらえた
からかった男はいまだに死ねと思ってる
可愛いじゃないか
かわいくても好みじゃない服強制されて浮いててからかわれるって地獄だよ
俺はロリータファッションの女の子好きだけどな。来月知人の19歳の女の子に着て貰ってエロ撮影会する。2万円で(笑)
自分の好みならまだしも強制は嫌だわな
からかった男子には俺が強く言っとくよ
子供を自己満の道具としか思ってない毒親可哀想
記憶力いいのか 笑
何年も経つうちにいろんな出来事があったろうに
引きこもってたりしてたなら別だけど
覚えてるもんだよ
私もクラスの男子に毎日突かれたり髪引っ張られたりして自殺まで考えた
あったら今でも殺したいと思う
あの服と手のタトゥーで察した
過去にいちゃもん点ける為にやっと見付けたネタだったんだろうなー感
2017年11月、父(左端)や私を「君たちはどう生きるか」の制作現場に案内する宮崎駿監督=吉野太一郎撮影
監督の自叙伝か 『君たちは〜』の再解釈か
そんな話を聞いた上で映画を見ると、今作の主人公の牧眞人(まき・まひと)少年は、宮崎監督の少年時代をモデルにしたのだと理解が行く。
時は太平洋戦争中の1944年、東京を襲った空襲で入院中の母を亡くし、父が経営する戦闘機工場とともに、一家は郊外へ疎開する。出迎えたのは父の再婚相手となった母の妹。お腹に新たな命が宿っている新しい母を、眞人は受け入れられず、転校先でも孤立する。そんなある日、疎開先の屋敷で眞人は偶然、1冊の本を見つける。
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