ここから先は「宮崎アニメの集大成」のような不思議ワールドの冒険が描かれるのだが、少年の成長というテーマが共通するからか、宮崎監督が吉野作『君たちはどう生きるか』を再解釈したのではないかと思わせる場面も登場する。
『君たちは〜』の主人公「コペル君」こと本田潤一少年は父親を亡くしており、親代わりでもある「叔父さん」との会話や交換ノートを通じて成長していく。映画の中で交わされる眞人と大おじの対話は、コペル君と叔父さんの対話を思い起こさせる。大おじが眞人に伝える「お前の手で争いのない世を作れ」という言葉は、戦中生まれの宮崎監督が次世代に託すストレートなメッセージだろう。
そういえば中盤に登場する「ワラワラ」というキャラクターは、宮崎監督が小学校時代に読んだ『君たちは〜』の冒頭部分に登場する、銀座のデパートの屋上からコペル君が見下ろした群衆にも見える。ではあの場面は、この場面は……次々と出現する謎めいた仕掛けに、まったく分析が追いつかないまま、2時間4分はあっという間に過ぎる。
祖父・吉野源三郎と私
試写からの帰り道、ふと思った。眞人少年が、遥か世代の離れた大おじと対話したように、私も今、祖父と直接対話できたら、どんな言葉を交わすだろうか。
1978年5月、祖父母宅で私の誕生祝いをした時の写真らしい。右から当時5歳の私、弟、祖父・吉野源三郎、祖母
私が小学校に入る前、祖父は2軒隣に住んでいて、訪ねて行くと絵本を読んでくれたり、似顔絵を描いてくれたりと、孫の私をかわいがってくれた。既に80近い高齢で、およそ3回に1回は床に伏せっていて「今日は具合が悪いからごめんね」と追い返されたが、やがて入退院を繰り返すようになり、近づくこともできなくなった。肺や喉の疾患が悪化し、最期は話すこともできなくなった祖父は、私が小学校2年のとき、82歳で死去した。
祖父の死後も『君たちは〜』は岩波文庫に収録され、多くの人に読み継がれてきた。誇らしくもありつつ「偉大なお爺さまをお持ちで」などと言われるのがやや重荷でもあり、積極的には明かしてこなかったが、新聞記者やウェブ編集者になってから時折、祖父の残した他の著作を読み返すようになった。『職業としての編集者』(岩波新書)に収録された、戦前戦後の混乱を経て「世界」を創刊した回想録などは、親族が登場することもあって他人事とは読めず、時代が変わっても守るべき価値や教訓があることを教えてくれる。著作を読むという限定的な形ながら、これも祖父と交わす一種の対話なのかもしれない。
包装紙の裏に祖父が描いた父と私(中央)、弟。鉛筆でサラサラと似顔絵を描くのが上手だった。
『君たちは〜』は2017年に漫画化され、21世紀らしい出で立ちで再び現れた。そして約6年の制作期間を経て、別作品とはいえ、宮崎駿監督の同名の映画が公開された。この間の出来事は「やさしいおじいちゃん」しか覚えていない孫に、祖父が思いがけない贈り物を届けてくれたようでもある。どこかでずっと、孫の私を見守ってくれているのではないか。そして何かを問い続けているのではないか。眞人を見守る「大おじ」のように。将来の息子に1冊の本を託した眞人の母のように。
その問いかけにどう答えるか。つまり私は、どう生きるか。とりあえず、一度見ただけでは回収できなかった伏線を探しに、もう一度、劇場に足を運ぶことにしよう。祖父との新たな「対話」の糸口が見つかるかもしれない。
同情出来ないエピソードしか出てこないからね
ただ遺族にだけは同情する
まあそうだけど
レイプとかは犯人が言ってるだけだから、マジで死人に口無し案件だぞ
動画で脅してたかどうかなんて瑠奈や父親のスマホのライン等のやり取り調べればすぐわかる
風呂場で正座するような格好してた お客様 お客様と声をかけたけど反応なし これは死んでるかもと119番へその後警察とかきた
捜査員があれ、首がないって
発覚した
これはキチンとWIKIが出来るような事件
事後報告はちゃんとされるはず
なぜ引退した宮崎監督が突然引退を撤回したのか。
鈴木敏夫著『ジブリの文学』のあとがきには、宮崎監督はアイルランド人の書いた児童文学を読み、その本に刺激を受けたことから映画化を提案したといいます。
その本というのは明言されていませんが、ジョン・コナリーの『失われたものたちの本』ではないかと思われます。
宮崎駿監督が帯の推薦文を書いていることでも知られていて、ジブリ美術館でも販売されていることから、ジブリファンの間では原案になった本として周知されていました。
ジブリの文学 失われたものたちの本
内容のほうはというと、舞台は第二次大戦下のイギリス。母親を亡くした少年のデイヴィッドが、死んだはずの母親の声に導かれ、幻の王国に迷い込むというもの。そこは、おとぎ話の登場人物が生活する、物語の世界。そこでデイヴィッドは、木こりと出会い冒険へと出る。
対する『君たちはどう生きるか』は、太平洋戦争下で母親を亡くした少年の牧眞人が、アオサギに導かれて、あの世と思われる世界に入り込む。そこは、おとぎの国のような異世界で、キリコという女性と出会う。
この物語の流れを考えれば、参考にされていたのは間違いなさそうです。
以前、宮崎監督はドキュメンタリー番組で、ある本について、「何度も熱読したからね。こういう世界のつかまえ方、描き方があるんだなって、何もなくなったわけじゃないなって」と触発されたことを明かしていました。
かねてから、主人公が異世界に入り込むときのパターンというのは擦られすぎていて、面白くないと。そこで見つけた新しい切り口というのが、この『失われたものたちの本』だったと思われます。
もうどうしようもないな
この家族をここまで追い詰めるような行動してた気もしてる
首を切断したのは介錯のつもりかね?
いろいろと意味がわからんなー
なんだか被害者の奇妙なとこばかりでてくるけど
首っった方も充分奇妙なんだよね
公開前には、物語の舞台は一切明かされていなかったのですが、実は2019年に公表された一枚の絵から、舞台は太平洋戦争下ではないかという予想が、ジブリファンの間では出ていました。
1枚の絵というのは、ジャズピアニストのジョバンニ・ミラバッシ氏に提供された、「MITAKA CALLING -三鷹の呼聲-」というCDジャケット。これは、スタジオジブリ作品の楽曲をカバーしたアルバムで、ミラバッシ氏と親交のあった宮崎監督が提供したことで話題となりました。
君たちはどう生きるか
この絵が、燃え盛る街並みと少年というもので、新作のイメージボードを提供したのではないかとみられていました。
そういったことから、事前情報まったく無しといった触れ込みですけども、ある程度の情報が集まっていました。
いざ、映画が始まると冒頭からイメージボードのシーンがやってきて、おおやっぱりか、なんて思っているのも束の間、宮崎駿監督のアウトプットの博覧会といった映像の連続。これまでに蓄えたイマジネーションの在庫を、惜しみなく放出しているような印象を受けました。
その宮崎監督のアイデアを映像化した作画陣の皆さんにも感服します。エンドロールには、作画監督の本田雄さんをはじめとして、安藤雅司、井上俊之、大平晋也、賀川愛、高坂希太郎、近藤勝也、田中敦子、山下明彦、稲村武志、米林宏昌(敬称略)など、そうそうたるメンツが並んでいます。ただ、思ったより人数が少ないように感じました。少数精鋭で作っていたのかもしれません。なにしろ、作画に入ってから長かったですからね。
異世界に入るまでの展開というのは、新しい切り口を見つけたというだけあって、さすがの面白さがありました。前半と後半で、まったく違う映画に切り替わるというのは、たしかに宣伝を打たないほうが面白みがあります。
事前に鈴木さんは、冒険活劇ファンタジー映画であることは公言していましたけど、これも言わないほうがインパクトが大きかったんじゃないでしょうか。
>>320の感想を述べてみろよカクサンブ爺wwwww
そんなキャッチコピーの新宿のホストいたな
復活後だけど
夏休みw
カクサンブ
それは悪手、ジブリが動きかねないからね。
君たちはどう生きるかの
奴書いてるのいるじゃん
新しい供述ももうしばらく無いんだろうか
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