結果的に一本も見た事ない
攻殻はSACこそ至高でしょ
片っ端から全部や
人生経験の中で最重要なのがそれってことだもんな
ライター名乗ってるのにET観てないって言ったらそりゃレビュー以前に総ツッコミくらうよな
スピルバーグが娯楽大作を撮れなくなったのはいつからだろうな
インディ4もあんなだったし
一本だけ見た人は批判しかしてはいけない
映画の見方なんて1つに決まってるし
戦車がカッコイイなんてのは映画の見方の話と全然関係ない
このスーパーバカとは
こいつが死ぬまで合わない自信がある
いくら合わないヤツでも
こいつほど合わないヤツも珍しい
こいつの言ってる事はことごとく合わない
まあ 最近寒いですね~ ぐらいの話題なら
合うのだろうが
その一つの見方って何?
そんな短い聞き方されたって・・
他のどういう聞き方があるかな。
例えば文学批評には歴史的に培われてきた様々な批評スタイルがあるけど
見方は一つしかないって言う人はどんな凄い見方を持ってるのかと思って。
そんな挑戦的な書き方をされたって・・
というのはともかく
おれはその「歴史的に培われた様々な文学批評のスタイル」なんて知らない人間だから
もしおれが答えるとしたら
そういう事を知らない人間の答えになるわけだから
そこは許容してもらわないと
分かった
その上で聞いてみたい、純粋な好奇心で。
あ~そういう前提で?
おれは物事や情報を
そこまでは大量に知らないから
その「量」を判断基準に「浅い」とされるとゲンナリするので
あくまで「量を知らない人間の答え」として聞いて欲しいし
量を知らない事はあまり責めないで欲しい
でもちろん全員了解ってわけにはいかないだろうけど
>>323,328あたりはどう?
あんま量を根拠に責めないでくれたら
それでいいんだけど・・
量を知らないという自覚はありながら>>320のような自信たっぷりな書き方はするんだね…
確かに理屈っぽい監督だけど君は君にそこまで断定出来るほどの知識や経験や感性があると思うの?
「俺映画詳しくねーからこいつの作品いっつもつまんねーわ」って態度にも見えないわけで。
まーだから
おれの書いてる内容から知識はゼロに近いから
感性の話だよなあ
経験ってのはよく分かんないけど
映画製作に関わった経験ならゼロだし
知識はゼロったって
見てる人に比べたらゼロに等しいってだけで
平均よりはかなり見てるだろうけど
そんで1つの見方ってなに?
量があることに越したことはないとは思うけど、量より質と期間だから大丈夫だと思うよ
短い期間に大量鑑賞して詰め込んだ人間の批評なんて経験が伴わないから素っ頓狂だったりするしね
こわっ
けど書いてみる
きみみたいなソフトな書き方だと安心なんだが
またバカにされると思うとこわっ
つまり独特な予防線を張るのは
おれは頻繁にこういう話でバカにされてるし
その割にバカにされるのが嫌いな人間なんだが
けどまあ書いてみる
別に特殊な意味で書いたのでなく
当たり前の話を書いたつもりだったんだが
「映画の見方」なんて言う場合は
これはもうシナリオの解釈であり
シナリオの解釈なんて一つに決まってる
戦車がどう 音楽を楽しむ ばあさんが
そんなのは映画の見方とは言えない
シナリオの解釈については
製作者が意図的に複数解釈できるように作る場合もあるわけだけど
それはなんというか「複数解釈できるような作りですよ」という「1つ」なだけだもの
押井のスーパーバカはきっと
「見方」ってのを拡大解釈させすぎで
「途中で席を立つのも見方の一つ」
というバカな事まで言い出すのではないかなあ
あ~こわっ!!
映画ってシナリオだけじゃなくね
そこはちょっと
おれの信念的な部分というか
意固地になりすぎかもなと思う時もあるんだが
とにかくおれはシナリオ至上主義者
シナリオ至上主義という割りに文学批評のスタイルに関しては無知と言う。
まあ君の見方が物凄く浅くて狭いことは間違いないからその根拠不明の信念を早々に改善したほうがいいと思うよ
文章的にたぶん10代かそこらだろう
それなんだってば
おれみたいに たとえば文学批評のあれこれ を知らないような人間は
「知らないから浅い 狭い」
みたいな言い方をされるとどうにもならない
だって現実に知らないんだもの
そして言う方は
知らないから浅い狭いって言うのが一番簡単なんだ
おれは1のET見てないおっちゃんに同意ってわけじゃないが
ET見ろやって言われて またそれか~って感じは伝わってくる
1のおっちゃんも君も知らないから浅いって言われる以前に
単純に言ってることが浅いから突っ込まれてるだけだと思うよ
いやもうその返信自体が無知の塊っつうかね…
知らない浅いと言われるとどうにもならないというのがそもそも間違い
勉強してどこが浅いのか知ることは出来るのにしてないだけだろう
そして浅い狭いと言うのは簡単なことじゃない。
言うだけなら簡単だが実際説得力ある形で言うにはそれなりの勉強が要る
君は無知でなんもわかりましぇ~んと自衛することで全ての言説から逃れてるだけ
なんでそんな諦観的なのか不明だけどその感じだとまあ進歩は無いだろう
うんまあだから文学批評にはいくつものスタンスがあるんだよって書いたんだけどなぁ
君のいう「シナリオ」一つとっても様々な批評形式がある
だから映画の見方が一つだなんてことはありえない
量とか感性以前の問題
けど様々な批評形式がある事と
見方がシナリオの解釈一択って話と
あんま関係なくない?
ならまあ世には様々な批評形式があるとしても
おれの言ってるのはその様々な批評形式は
シナリオの一意解釈の上で行われるものではないかと
つまり「映画の見方」と批評とは関係なく
一意で言葉は合ってるかね
意味一つのみ という意味だけど
君の言ってるシナリオの解釈とやらがどういうものかがまず君以外の全員に伝わってないと思うのでなんとも。
君にとって映画がシナリオの解釈だけに価値があるというのなら、全ての映画を面白いと感じるはずだけど
その辺はどうなの?どんな映画も多少なりともドラマはあるし解釈とは受け手の作業だから絶対に発生するよね?
極論、真っ白な画面を映し続けるだけの映画でも「解釈」は観客によって可能なわけで。
おれもゆっくり読んだから
きみもゆっくり読んでよ
「映画がシナリオの解釈だけに価値が」
というのは
たぶん書き方・読み方で誤解を生んでるような気がするが
まあそこはひとまず飛ばして
>全ての映画を面白いと感じる筈
製作者ってのは必ず意図があるから
正確に意図を受け取って
それを積極的に楽しむつもりであれば
全ての映画は楽しめるのではないかなあ
それこそ押井のスー・・な映画でも
ただそれはこちらに楽しむ心構えが要るのと
中には本当にどうにもならない製作者もいるから
そんなのまでは無理だろうけど
真っ白映画は
やっぱりきみが少し強引な例をあげてないかなあ
それは映画でも解釈でもなく
白い画面を見てそれぞれが空想すると言う
いや実際青い画面しか映らない映画が存在してるんだがね
画面を見てそれぞれが空想する、それ自体が映画の持つ力だよ
君は映画は製作者が意図したものしか反映されないと思ってるようだけど
例えば水面を映すカット、空を映すカット、ビル街を映すカット
そうしたものの意味は誰が教えてくれる?
シナリオで「こういう意味がある」なんて教えてくれないでしょ
そもそも映画はモンタージュという実験理論から出来ている
皿の上に食物が乗ったカットが映される、次に男の顔のアップが映される
それだけで見てる人は「男が飯を食いたそうにしてる」と捉える
ここに、製作者が意図したことなどない。元々は別々の場所で撮られた何の関係もない食物と男の画でしかない
でも見た人は前後を何かしらの関連性で繋げる
大衆映画はこの作用を逆手に取ってある種意味があるものにしてるだけ
表現としての映画というのものがそもそもそういう不確かさで出来てるんだから
製作者のハッキリとした意図があるという見方自体がまずおかしい
それを言うなら、特定の戦車が画面に出て来た時に、脚本家の意図とは関係なく
その戦車を持ってきた戦車マニアの監督だかが居たら、そこに意図が介在してるだろう
それを読む面白さを否定することは君には出来ないよ。紛れもなく製作者の意図なんだから
七割が教科書通りやなw
まず青い画面の映画ってのは
製作者がわざと意図を示してないケースだから
そんなのは受けての解釈が分かれて当然だし
モンタージュの例は完全に一意ではないか
製作者の意図など無いどころか
そこには完全に一意であるべき意図があるんだよ
一意で合ってる? 「一つの意味」の意味ね
脚本家の意図と関係なく戦車を持ってきたなら
それはシナリオと関係なく戦車を持ってきましたねというだけの話
「受け手が戦車を楽しんではいけない」
とはおれは言ってないわけで
モンタージュ理論の根幹が分かっていない
モンタージュ理論は「受け手によって無限の解釈がされる」ということを前提としている
製作者が意図したことでも受け手によって解釈が変わる、そして映画はそれを織り込み済みで作るもの
それを一元的だと思ってる時点で君の考えは相当甚だしい
仮に君が心から楽しんで面白くて大好きな映画の監督の前でそれを言ったら完全否定されるよ
お前はこの映画の作ったのか?と。作り手の本心なんか究極作り手にしか分からん
観客が大絶賛してるカットでも撮影監督としては不服な場合なんか腐るほどある
全てが計算されて一元的というなら君はそれを察知してるのか?どういう根拠で?
けど
>製作者が意図したことでも受け手によって解釈が変わる
もし意図を伝えたいなら正確に伝えるべきだし
受け手によって解釈が変わってはダメだけどね
そのモンタージュ理論で無限の解釈が前提なら
そうならないように作らないと
ただおれの言ってるのは
あくまで「シナリオの一意解釈」で
監督が不服なカットが観客絶賛なんて話は
おれはもう「たまたまそうなってラッキーでしたね」というような感想しかなく
だから無限の解釈の可能性があるのが映画という装置なのに
一つの意味しかないんだと言って感想を言ってきたら作り手からしたらキチガイかこいつとしか思われないんだって。
鬼滅の刃なんかはそうでもない気がするが、あくまで作り手側が許容をする範囲内での話じゃないか?
きみの物言いだと
映画という仕組みにはもう
最初から無限解釈が内蔵されてて
どうやってもそこから逃れられない
みたいな感じだけど
それはやっぱり違うでしょ
最初の食べ物と男
これだっておれは一意になると
だって前後のストーリーも手伝うわけだから必然的に一意になるが
仮にまあ
「食べ物と男」この解釈が複意としようか
おれが言ってるのはストーリーの一意だから
もしそれがストーリーに影響するなら
やっぱりそこは一意に作らないといけないし
ストーリーに影響しないなら
そのまま単に ストーリーと関係ないですね
つまりおれの言う所の「見方とは関係ありませんね」と
なるほど
でも例えばジャッキーチェン映画なんかで考えると比較的に分かりやすいんじゃないかな
あれはシナリオなんて二の次だからね、けれど確実に彼には独創的なアイデアがあり、それによってアクション演出が成されていて、そこにこそ作品の価値も彼の人気もあった訳だからね
おれはブルース・リーもジャッキーも
毛嫌いしてるわけじゃないけど
あまり積極的には見ない
やっぱりシナリオ ストーリーを見たい
ただ・・おれは霊幻導士が大好きで
あの中のアクションももちろん楽しんでいる
だからもちろんこの映画あの映画の中のアクションが楽しいってのは
別に当たり前の話で分かっている事で
押井のスー・・が
自分の作る映画はどこをどう楽しんでくれても良いです
戦車が良い 女の子がかわいい
そんな本筋とは関係ない箇所だけ楽しんでくれても構いません
と言うならまだ分かる
「映画の見方は一つじゃない」
なんて言わなければさ
まあ「見方」ってのをおれが気にしすぎで
押井のスー・・は単に
「本筋とは関係ない箇所だけという偏った見方をしてくれてもいいんです」
という意味だけで使ってるのかもしれないが
けどまあそれはそれで
そんな事言ってるから大肝心の本筋がダメダメなんじゃねーのかこのスーパーバカは と
君が勘違いしてんのは押井は脚本軽視を自認してるってことだろうな
ブレードランナーが世界一好きみたいなことを言いつつあの映画のシナリオはつまらんって言ってる人
そしてブレランも押井の攻殻も世界中で名作として愛されてる
映画の魅力はシナリオだけじゃないんだよ
ルーカスなんかは映画の半分は音だって言ってるわけで
いや映画はシナリオだけどね
シナリオ以外を楽しむのは構わないが
それは「映画の見方は一つではない」とは関係ない
というか
「見方」って単語におれがこだわり過ぎかねえ
おれは1みたいな場合の「見方」ってのは
やっぱりシナリオ解釈の意味としか受け取れないが
軽い意味で 見方 と使ってるだけかもなあ押井のスーは
まあまずタランティーノのパルプフィクションを見てみな
君みたいなのだと間違いなく楽しめないと思うから
そしてあれは脚本が世界的に高く評価されてる作品だということ
自称「シナリオ至上主義」の君には理解出来ないと思うよ
なぜそういう話になるかなあ
おれには不思議だ
世界的に ってのはともかく
シナリオを高く評価されてる映画を出して
お前は自称シナリオ至上主義者なだけだから楽しめない
そんな事を言われたら
もうおれにはどうにもならないではないか
最初のソフトな>>340はどうしたんだよ
さてはおれの最初の回答で呆れて読む気無くしたんじゃねーのか?
けどきみのソフトな書き方で
よしこわっだけど書いてみようと思ったんだから
ちょっとぐらいおれを助けろや
いいから今度見てみなって
いかに自分が「シナリオ」を理解してないかが分かるからさ
理解してないのに理解したつもりになってることに気づけたら万々歳だろう
いやなんかそんな挑発的に書くなら
おれも感じたままに書くけど
きみみたいなモンタージュがどうだからなんていう不要な理屈ばかり頭に入れるから
肝心のストーリーを正しく理解する
みたいな当たり前な事ができなくなるんじゃないかなあ
ほらみろ
おれなんか意地悪に慣れてないから
挑発にわざわざやり返す時でさえ
こんなやさしい言い方になる
岡田斗司夫もブレラン実は面白くない説あるって言ってるね
あの世紀末感を楽しめる大人の為のディズニーランドと
自分はルドガー・ハウアーの最後のシーンの為だけでも観る価値あると思うけど
押井作品は概して
プロットが糞セリフも糞だが
作中の雰囲気や空気感で見れる
ただそれだと
2時間も座ってられないというのが現実
押井作品に拘り過ぎじゃない?恨みでもあるのか?w
映画批評は映画批評だよ
別に俺も押井の一字一句に同意してる訳ではいないけど
なぜそういう話になるかなあ
おれには不思議だ
世界的に ってのはともかく
シナリオを高く評価されてる映画を出して
お前は自称シナリオ至上主義者なだけだから楽しめない
そんな事を言われたら
もうおれにはどうにもならないではないか
最初のソフトな>>340はどうしたんだよ
さてはおれの最初の回答で呆れて読む気無くしたんじゃねーのか?
けどきみのソフトな書き方で
よしこわっだけど書いてみようと思ったんだから
ちょっとぐらいおれを助けろや
いいから今度見てみなって
いかに自分が「シナリオ」を理解してないかが分かるからさ
理解してないのに理解したつもりになってることに気づけたら万々歳だろう
いやなんかそんな挑発的に書くなら
おれも感じたままに書くけど
きみみたいなモンタージュがどうだからなんていう不要な理屈ばかり頭に入れるから
肝心のストーリーを正しく理解する
みたいな当たり前な事ができなくなるんじゃないかなあ
ほらみろ
おれなんか意地悪に慣れてないから
挑発にわざわざやり返す時でさえ
こんなやさしい言い方になる
ははーん
さてはこのまま逃げるな
1つってなんや?
あ~そういう前提で?
おれは物事や情報を
そこまでは大量に知らないから
その「量」を判断基準に「浅い」とされるとゲンナリするので
あくまで「量を知らない人間の答え」として聞いて欲しいし
量を知らない事はあまり責めないで欲しい
でもちろん全員了解ってわけにはいかないだろうけど
>>323,328あたりはどう?
あんま量を根拠に責めないでくれたら
それでいいんだけど・・
量を知らないという自覚はありながら>>320のような自信たっぷりな書き方はするんだね…
確かに理屈っぽい監督だけど君は君にそこまで断定出来るほどの知識や経験や感性があると思うの?
「俺映画詳しくねーからこいつの作品いっつもつまんねーわ」って態度にも見えないわけで。
まーだから
おれの書いてる内容から知識はゼロに近いから
感性の話だよなあ
経験ってのはよく分かんないけど
映画製作に関わった経験ならゼロだし
知識はゼロったって
見てる人に比べたらゼロに等しいってだけで
平均よりはかなり見てるだろうけど
そんで1つの見方ってなに?
量があることに越したことはないとは思うけど、量より質と期間だから大丈夫だと思うよ
短い期間に大量鑑賞して詰め込んだ人間の批評なんて経験が伴わないから素っ頓狂だったりするしね
こわっ
けど書いてみる
きみみたいなソフトな書き方だと安心なんだが
またバカにされると思うとこわっ
つまり独特な予防線を張るのは
おれは頻繁にこういう話でバカにされてるし
その割にバカにされるのが嫌いな人間なんだが
けどまあ書いてみる
別に特殊な意味で書いたのでなく
当たり前の話を書いたつもりだったんだが
「映画の見方」なんて言う場合は
これはもうシナリオの解釈であり
シナリオの解釈なんて一つに決まってる
戦車がどう 音楽を楽しむ ばあさんが
そんなのは映画の見方とは言えない
シナリオの解釈については
製作者が意図的に複数解釈できるように作る場合もあるわけだけど
それはなんというか「複数解釈できるような作りですよ」という「1つ」なだけだもの
押井のスーパーバカはきっと
「見方」ってのを拡大解釈させすぎで
「途中で席を立つのも見方の一つ」
というバカな事まで言い出すのではないかなあ
あ~こわっ!!
映画ってシナリオだけじゃなくね
そこはちょっと
おれの信念的な部分というか
意固地になりすぎかもなと思う時もあるんだが
とにかくおれはシナリオ至上主義者
シナリオ至上主義という割りに文学批評のスタイルに関しては無知と言う。
まあ君の見方が物凄く浅くて狭いことは間違いないからその根拠不明の信念を早々に改善したほうがいいと思うよ
文章的にたぶん10代かそこらだろう
それなんだってば
おれみたいに たとえば文学批評のあれこれ を知らないような人間は
「知らないから浅い 狭い」
みたいな言い方をされるとどうにもならない
だって現実に知らないんだもの
そして言う方は
知らないから浅い狭いって言うのが一番簡単なんだ
おれは1のET見てないおっちゃんに同意ってわけじゃないが
ET見ろやって言われて またそれか~って感じは伝わってくる
1のおっちゃんも君も知らないから浅いって言われる以前に
単純に言ってることが浅いから突っ込まれてるだけだと思うよ
いやもうその返信自体が無知の塊っつうかね…
知らない浅いと言われるとどうにもならないというのがそもそも間違い
勉強してどこが浅いのか知ることは出来るのにしてないだけだろう
そして浅い狭いと言うのは簡単なことじゃない。
言うだけなら簡単だが実際説得力ある形で言うにはそれなりの勉強が要る
君は無知でなんもわかりましぇ~んと自衛することで全ての言説から逃れてるだけ
なんでそんな諦観的なのか不明だけどその感じだとまあ進歩は無いだろう
うんまあだから文学批評にはいくつものスタンスがあるんだよって書いたんだけどなぁ
君のいう「シナリオ」一つとっても様々な批評形式がある
だから映画の見方が一つだなんてことはありえない
量とか感性以前の問題
けど様々な批評形式がある事と
見方がシナリオの解釈一択って話と
あんま関係なくない?
ならまあ世には様々な批評形式があるとしても
おれの言ってるのはその様々な批評形式は
シナリオの一意解釈の上で行われるものではないかと
つまり「映画の見方」と批評とは関係なく
一意で言葉は合ってるかね
意味一つのみ という意味だけど
君の言ってるシナリオの解釈とやらがどういうものかがまず君以外の全員に伝わってないと思うのでなんとも。
君にとって映画がシナリオの解釈だけに価値があるというのなら、全ての映画を面白いと感じるはずだけど
その辺はどうなの?どんな映画も多少なりともドラマはあるし解釈とは受け手の作業だから絶対に発生するよね?
極論、真っ白な画面を映し続けるだけの映画でも「解釈」は観客によって可能なわけで。
おれもゆっくり読んだから
きみもゆっくり読んでよ
「映画がシナリオの解釈だけに価値が」
というのは
たぶん書き方・読み方で誤解を生んでるような気がするが
まあそこはひとまず飛ばして
>全ての映画を面白いと感じる筈
製作者ってのは必ず意図があるから
正確に意図を受け取って
それを積極的に楽しむつもりであれば
全ての映画は楽しめるのではないかなあ
それこそ押井のスー・・な映画でも
ただそれはこちらに楽しむ心構えが要るのと
中には本当にどうにもならない製作者もいるから
そんなのまでは無理だろうけど
真っ白映画は
やっぱりきみが少し強引な例をあげてないかなあ
それは映画でも解釈でもなく
白い画面を見てそれぞれが空想すると言う
いや実際青い画面しか映らない映画が存在してるんだがね
画面を見てそれぞれが空想する、それ自体が映画の持つ力だよ
君は映画は製作者が意図したものしか反映されないと思ってるようだけど
例えば水面を映すカット、空を映すカット、ビル街を映すカット
そうしたものの意味は誰が教えてくれる?
シナリオで「こういう意味がある」なんて教えてくれないでしょ
そもそも映画はモンタージュという実験理論から出来ている
皿の上に食物が乗ったカットが映される、次に男の顔のアップが映される
それだけで見てる人は「男が飯を食いたそうにしてる」と捉える
ここに、製作者が意図したことなどない。元々は別々の場所で撮られた何の関係もない食物と男の画でしかない
でも見た人は前後を何かしらの関連性で繋げる
大衆映画はこの作用を逆手に取ってある種意味があるものにしてるだけ
表現としての映画というのものがそもそもそういう不確かさで出来てるんだから
製作者のハッキリとした意図があるという見方自体がまずおかしい
それを言うなら、特定の戦車が画面に出て来た時に、脚本家の意図とは関係なく
その戦車を持ってきた戦車マニアの監督だかが居たら、そこに意図が介在してるだろう
それを読む面白さを否定することは君には出来ないよ。紛れもなく製作者の意図なんだから
七割が教科書通りやなw
まず青い画面の映画ってのは
製作者がわざと意図を示してないケースだから
そんなのは受けての解釈が分かれて当然だし
モンタージュの例は完全に一意ではないか
製作者の意図など無いどころか
そこには完全に一意であるべき意図があるんだよ
一意で合ってる? 「一つの意味」の意味ね
脚本家の意図と関係なく戦車を持ってきたなら
それはシナリオと関係なく戦車を持ってきましたねというだけの話
「受け手が戦車を楽しんではいけない」
とはおれは言ってないわけで
モンタージュ理論の根幹が分かっていない
モンタージュ理論は「受け手によって無限の解釈がされる」ということを前提としている
製作者が意図したことでも受け手によって解釈が変わる、そして映画はそれを織り込み済みで作るもの
それを一元的だと思ってる時点で君の考えは相当甚だしい
仮に君が心から楽しんで面白くて大好きな映画の監督の前でそれを言ったら完全否定されるよ
お前はこの映画の作ったのか?と。作り手の本心なんか究極作り手にしか分からん
観客が大絶賛してるカットでも撮影監督としては不服な場合なんか腐るほどある
全てが計算されて一元的というなら君はそれを察知してるのか?どういう根拠で?
けど
>製作者が意図したことでも受け手によって解釈が変わる
もし意図を伝えたいなら正確に伝えるべきだし
受け手によって解釈が変わってはダメだけどね
そのモンタージュ理論で無限の解釈が前提なら
そうならないように作らないと
ただおれの言ってるのは
あくまで「シナリオの一意解釈」で
監督が不服なカットが観客絶賛なんて話は
おれはもう「たまたまそうなってラッキーでしたね」というような感想しかなく
だから無限の解釈の可能性があるのが映画という装置なのに
一つの意味しかないんだと言って感想を言ってきたら作り手からしたらキチガイかこいつとしか思われないんだって。
鬼滅の刃なんかはそうでもない気がするが、あくまで作り手側が許容をする範囲内での話じゃないか?
きみの物言いだと
映画という仕組みにはもう
最初から無限解釈が内蔵されてて
どうやってもそこから逃れられない
みたいな感じだけど
それはやっぱり違うでしょ
最初の食べ物と男
これだっておれは一意になると
だって前後のストーリーも手伝うわけだから必然的に一意になるが
仮にまあ
「食べ物と男」この解釈が複意としようか
おれが言ってるのはストーリーの一意だから
もしそれがストーリーに影響するなら
やっぱりそこは一意に作らないといけないし
ストーリーに影響しないなら
そのまま単に ストーリーと関係ないですね
つまりおれの言う所の「見方とは関係ありませんね」と
なるほど
でも例えばジャッキーチェン映画なんかで考えると比較的に分かりやすいんじゃないかな
あれはシナリオなんて二の次だからね、けれど確実に彼には独創的なアイデアがあり、それによってアクション演出が成されていて、そこにこそ作品の価値も彼の人気もあった訳だからね
おれはブルース・リーもジャッキーも
毛嫌いしてるわけじゃないけど
あまり積極的には見ない
やっぱりシナリオ ストーリーを見たい
ただ・・おれは霊幻導士が大好きで
あの中のアクションももちろん楽しんでいる
だからもちろんこの映画あの映画の中のアクションが楽しいってのは
別に当たり前の話で分かっている事で
押井のスー・・が
自分の作る映画はどこをどう楽しんでくれても良いです
戦車が良い 女の子がかわいい
そんな本筋とは関係ない箇所だけ楽しんでくれても構いません
と言うならまだ分かる
「映画の見方は一つじゃない」
なんて言わなければさ
まあ「見方」ってのをおれが気にしすぎで
押井のスー・・は単に
「本筋とは関係ない箇所だけという偏った見方をしてくれてもいいんです」
という意味だけで使ってるのかもしれないが
けどまあそれはそれで
そんな事言ってるから大肝心の本筋がダメダメなんじゃねーのかこのスーパーバカは と
君が勘違いしてんのは押井は脚本軽視を自認してるってことだろうな
ブレードランナーが世界一好きみたいなことを言いつつあの映画のシナリオはつまらんって言ってる人
そしてブレランも押井の攻殻も世界中で名作として愛されてる
映画の魅力はシナリオだけじゃないんだよ
ルーカスなんかは映画の半分は音だって言ってるわけで
いや映画はシナリオだけどね
シナリオ以外を楽しむのは構わないが
それは「映画の見方は一つではない」とは関係ない
というか
「見方」って単語におれがこだわり過ぎかねえ
おれは1みたいな場合の「見方」ってのは
やっぱりシナリオ解釈の意味としか受け取れないが
軽い意味で 見方 と使ってるだけかもなあ押井のスーは
まあまずタランティーノのパルプフィクションを見てみな
君みたいなのだと間違いなく楽しめないと思うから
そしてあれは脚本が世界的に高く評価されてる作品だということ
自称「シナリオ至上主義」の君には理解出来ないと思うよ
なぜそういう話になるかなあ
おれには不思議だ
世界的に ってのはともかく
シナリオを高く評価されてる映画を出して
お前は自称シナリオ至上主義者なだけだから楽しめない
そんな事を言われたら
もうおれにはどうにもならないではないか
最初のソフトな>>340はどうしたんだよ
さてはおれの最初の回答で呆れて読む気無くしたんじゃねーのか?
けどきみのソフトな書き方で
よしこわっだけど書いてみようと思ったんだから
ちょっとぐらいおれを助けろや
いいから今度見てみなって
いかに自分が「シナリオ」を理解してないかが分かるからさ
理解してないのに理解したつもりになってることに気づけたら万々歳だろう
いやなんかそんな挑発的に書くなら
おれも感じたままに書くけど
きみみたいなモンタージュがどうだからなんていう不要な理屈ばかり頭に入れるから
肝心のストーリーを正しく理解する
みたいな当たり前な事ができなくなるんじゃないかなあ
ほらみろ
おれなんか意地悪に慣れてないから
挑発にわざわざやり返す時でさえ
こんなやさしい言い方になる
岡田斗司夫もブレラン実は面白くない説あるって言ってるね
あの世紀末感を楽しめる大人の為のディズニーランドと
自分はルドガー・ハウアーの最後のシーンの為だけでも観る価値あると思うけど
押井作品は概して
プロットが糞セリフも糞だが
作中の雰囲気や空気感で見れる
ただそれだと
2時間も座ってられないというのが現実
押井作品に拘り過ぎじゃない?恨みでもあるのか?w
映画批評は映画批評だよ
別に俺も押井の一字一句に同意してる訳ではいないけど
なぜそういう話になるかなあ
おれには不思議だ
世界的に ってのはともかく
シナリオを高く評価されてる映画を出して
お前は自称シナリオ至上主義者なだけだから楽しめない
そんな事を言われたら
もうおれにはどうにもならないではないか
最初のソフトな>>340はどうしたんだよ
さてはおれの最初の回答で呆れて読む気無くしたんじゃねーのか?
けどきみのソフトな書き方で
よしこわっだけど書いてみようと思ったんだから
ちょっとぐらいおれを助けろや
いいから今度見てみなって
いかに自分が「シナリオ」を理解してないかが分かるからさ
理解してないのに理解したつもりになってることに気づけたら万々歳だろう
いやなんかそんな挑発的に書くなら
おれも感じたままに書くけど
きみみたいなモンタージュがどうだからなんていう不要な理屈ばかり頭に入れるから
肝心のストーリーを正しく理解する
みたいな当たり前な事ができなくなるんじゃないかなあ
ほらみろ
おれなんか意地悪に慣れてないから
挑発にわざわざやり返す時でさえ
こんなやさしい言い方になる
みんなが待ってるよ、謎の一つの見方理論について
おれもその1つを聞きたい
>>332もそのへんどう?
条件としては「量」に関して
ちょっとは責めてくれてもいいんだけど
あんま責めないで欲しいのだが・・
いややっぱもういいわ
おつかれ
量を知らないという自覚はありながら>>320のような自信たっぷりな書き方はするんだね…
確かに理屈っぽい監督だけど君は君にそこまで断定出来るほどの知識や経験や感性があると思うの?
「俺映画詳しくねーからこいつの作品いっつもつまんねーわ」って態度にも見えないわけで。
まーだから
おれの書いてる内容から知識はゼロに近いから
感性の話だよなあ
経験ってのはよく分かんないけど
映画製作に関わった経験ならゼロだし
知識はゼロったって
見てる人に比べたらゼロに等しいってだけで
平均よりはかなり見てるだろうけど
そんで1つの見方ってなに?
1つの映画の見方ってどういう見方?
スーパーバカ同士気が合うんじゃね
ポンポさんのいう映画なんてヒロインが可愛く撮れてりゃ良いってぐらいなら一つだな
90分以内ってのには拘らんで良いが
スピルバーグにしてはつまらない
この感想はスピルバーグの他のやつを観ないとわからない
初回は面白く感じるけど1年後は見れない
プライドがあるんだか無いんだか分からない
気狂いに刃物スマホを与えるな
監督の評価をするなら他の作品も見た方が色々と多角的な感想が言える
作品の評価とは良い悪いが混在するものだから、一面的な見方だけで決まるモノじゃない
わりとまともな事を言ってるな
つまんないな
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