島東洋カープの野球教室が開かれ、当時
の山本一義打撃コーチと主戦投手池谷公
二郎が講師として参加。
軟式野球部員は
手伝いをすることとなり、大野の高校時
代の監督が山本打撃コーチと法政大学野
球部の先輩・後輩の関係であったため、
高校時代の監督へプロへの道を作ってい
ただけないかと頼んだ[1]。
恩師に頼んだ
経緯もあり、翌1977年2月に特別に受験
することとなり[1]、呉市営二河野球場で
行われていた二軍キャンプにおいて、山本
と木庭教の立ち会いのもと1人だけの入団
テストを受けて合格。3月6日、軟式野球
出身という異色の経歴で、広島にドラフ
ト外入団を果たした(契約金なし、支度
金100万円、年俸135万円、俸給は月額
12万5千円)[3]。
当時は大洋の高木由一も相模原市役所出身とかで話題になってた
まあ、バッピ向きなのかもしれん
大野のプロ入り前 299〜300は大野の
プロ入り後1〜2年目のwikiのまんまw
(要点を自力で書くのも面倒くさいしw)
2年目の成績は、41試合 3勝1敗防御率
3,75
3年目の成績は、58試合5勝5敗2S
防御率3,84(この年は中継ぎ、スト
ッパー、先発全部やったらしいw)
ードで日本ハムファイターズへと移籍
した江夏の後を受けてリリーフエース
に抜擢ばってきされ、「気の弱い大野
に抑えは無理」と評されながらも同年8
勝11セーブ、翌1982年には10勝11セー
ブを記録した。
1984年から先発に転向し、同年の日本シ
リーズ制覇、1986年のセ・リーグ優勝に
貢献。1990年までに4度の2桁勝利を記録
し、1988年には13勝7敗、防御率1.70と
いう好成績で最優秀防御率のタイトルを
獲得、昭和最後の沢村賞も受賞した。
13勝での沢村賞受賞は、2020年に大野
雄大が11勝で受賞するまで歴代最少で
あった。翌1989年にも防御率1.92を記
録し、2年連続防御率1点台という出色
の成績を収める。1970年から2007年ま
での間、2年連続防御率1点台を記録し
た選手は大野しかいない。
結局、テスト入団したが大野の通算成
績は148勝100敗 138S 防御率
2,90 野球殿堂入りもしたが、大野は
佐々岡同様、先発とストッパーを併用し
たから、どちらも超飛び抜けた成績になら
なかったけど、どちらかに専念してたら
名球会入りの可能性もあったかもね
でも、大疑問があって、江夏に大野は殴ら
れながらもプロ2年目から育てられたと
言われてるが、江夏の指導を全く受けな
かったら、50勝出来たかな? てのが
大疑問w
プロ入りの動機が、信用金庫の軟式野球
時代に、島根県準優勝のチームに5回
で13三振取ったと言っても、結局
テスト入団だし
でも江夏が指導者として非常に優秀
て話もあんまり聞かないし、江夏が
指導した年から、いきなり中継ぎ専門
だが、防御率4点以下とそこそこ結果出
してるし、江夏の指導が全く無くても
100勝前後or 150S前後のどちらかは
達成したかな?と思ったり笑
プロ入りの動機が、信用金庫の軟式野球
時代に、島根県硬式の高校野球準優勝の
チームに5回で13三振取ったと言っても、
結局テスト入団だし
まあ、島根の軟式野球の信用金庫がやっ
た練習試合なんてスカウトが全く見てないかw
コレが帝京、広陵、広島商業vs島根県準優
秀の練習試合なら誰かスカウトが見てく
れてるかもだがw
陸上からプロ入りした飯島を見て自分でもなれると思ったのかな
オレも、日産の入団テスト受けとけばよかったわ
水沼貴史に挨拶した、とか今言えるもんな
それで友達が東映の入団テストを受けるというので、一緒に行って受けたら自分が合格してしまった
コメント