五所川原のとある神社の宮司が渡してくれたものか
遮光器土偶は重要文化財だな。
火焔型土器は国宝になってる。
縄文人の必須アイテムにして交易の人気モノ
しかし、10000年も時間的余裕があったのに
独自に金属を利用し始めなかった縄文人て無能なのかね
あんなに手間暇かかる火焔土器作る暇あるなら
青銅器ぐらい手を出しても良かったのにね
大いなる謎
小笠原が一番古いと思ってた
4世紀山形県戸塚山古墳の埋葬者女性をDNA解析してCGで復元
https://www.asahi.com/sp/articles/ASQC86441QC4UZHB001.html
腫れぼったい一重まぶた、たれ目で鼻は低く、髪は黒の直毛――。
1600年前の女性の生前の姿
古墳時代前期から中期に該当する4~6世紀には、前方後円墳・箱式石棺や横穴式石室・横穴墓が東北南部にも数多く造営され、北限は岩手県奥州市にまで分布域を広げるようになる。
しかしこれとは別に、東北北部では、土坑墓と考えられる独自の遺構群の存在が確認されている。さらに7~10世紀には高塚古墳に似て非なる「終末期古墳」が築かれ、北上川流域を主たる分布域とするようになる。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASQC86441QC4UZHB001.html
実際に保存状態の良好な古人骨が出土するのは、もっぱら東北南部における横穴墓、洞窟遺跡に限られているのが実態である。
顔面平坦度に関する項目を含めた頭蓋計測値18項目に基づいて集団間でペンローズの形態距離を求めると、
宮城県塩竈市清水洞窟や仙台平野熊野堂横穴墓集団などは西日本弥生人・東日本古墳人に類似するが、東日本縄文・北海道アイヌとはまるで正反対の領域に位置づけられる。
東北南部には開拓を期して特に関東を中心とした各地から数多くの移民が入ってきたことが、この墓制が彼らによって導入されたとみてよい。
ミトコンドリアDNA分析の結果
https://blog-imgs-144-origin.fc2.com/g/e/n/genomuseum/emishi.jpg
核ゲノム分析の結果
https://blog-imgs-144-origin.fc2.com/g/e/n/genomuseum/emishi2.jpg
参考文献
JSPS 科研費 26440257 基盤研究 (C)エミシとは誰だったのか―学際的研究で探る東北古代人の人類学的・考古学的実像―(代表:安達登)
JSPS 科研費 16K18631 若手研究 (B)古代ゲノム分析による関東古墳時代人の親族関係と遺伝的構造の解明(代表:神澤秀明)
https://livedoor.blogimg.jp/uebaru/imgs/2/f/2f5c75ef.jpg
藤原不比等の祖父・車持与志古(上毛野国出身)
素手で刻んだとか聞いた
ただ言えるのは、日本には縄文時代から文明があったということだ
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