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「俺らにとってライブは愛。ライブのステージは聖域」。(撮影/木村琢也)
元「smart」編集長・佐藤誠二朗によるカルチャー・ノンフィクション連載「Don’t trust under 50」。ラフィンノーズのヴォーカル、チャーミーの物語も今回が最終回。自らのレーベルから1983年にリリースして、今年で実に40年目!となる代表曲『GET THE GLORY』と、自身の死生観について迫る(全4回の4回目 #1 #2 #3 #4)。
【画像】この日は62歳のバースディ。お祝いの花束もさらりと似合うチャーミー
『GET THE GLORY』は、天が与えた最高の贈り物だった
「あれは、突然降ってきたんです」
1983年にラフィンノーズがインディーズでリリースした最初のシングル曲にして、現在に至るまでバンドを象徴する代表曲となっている『GET THE GLORY』が生まれた経緯を尋ねると、チャーミーはそう切り出した。
「俺とポンの2人でいたとき、どちらからともなく『♪ドッタンドドタン、ドッタンドドタン、にゃーにゃーにゃーにゃにゃー……。栄光をつかめー、栄光をつかめー♪』って。
じゃあ、“栄光をつかめ”って英語で何て言うん? “Get The Glory”じゃんか? となって『Get, Get, Get The Glory!』……あれ、これ、めっちゃええんちゃうか!? みたいな感じでね。そもそも『GET THE GLORY』ってちょっと不思議な、特殊な曲なんですよ。きっとね。ハードコアなのに『GET THE GLORY』ですから」
1981年に大阪で活動を開始したラフィンノーズは、折からイギリスで巻き起こっていたハードコアパンクムーブメントの影響を受け、日本独自のハードコアシーンを切り開いてきた存在である。
ラフィンノーズが初めて世に出した楽曲は、1983年2月にCITY ROCKER Recordsというインディーズレーベルがリリースしたオムニバス盤「OUTSIDER」に収められた2曲(『A Bomb Will Never Die』と『No War』)だった。
そしてその年の12月には、自ら立ち上げたレーベルAA Recordsより、6曲入りファーストEP『GET THE GLORY』を発表する。
「次の日には、マンゴ(DREAMY-MANGO)っていう当時のギタリストが、また妙な感じのギターソロをつけてきて、それも『ええんちゃうんか!』って(笑)。そんな感じでポッポとできた曲なんですよ。
最初に俺とポンに音が降ってきた場所も、今やはっきりしないけど。俺の記憶では、リハの帰りに2人で歩いていたどっかの駅のホームなんです。でもポンは、『チャーミーの家やったやろ?』って(笑)。当時、俺が住んでいた阪和荘っていうアパートの部屋だったって、あいつは言うんですよ」
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https://news.yahoo.co.jp/articles/de4daf5d31b2eadad11d9e025b0f2db82dee5c7e
引用元:https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1690281008/
兵庫で
ヤンキーやん
殆どメロディ無いし
ハイハイハイってのが苦痛だった
それ
有頂天
思わずゲッ!ゲッ、ゲッとなる
ワイはそういうときは必ず宝くじを買うw
https://yomitai.jp/series/donttrustunderfifty/06-charmy/
同時代の他の誰かと勘違いしてるのかなあ
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